自治体再編
私は最近、冨江や奈留をぐるぐると回っています。
その中でよく聞く声としては、
五島市に合併してから、なんもかんも持っていかれた
という事です。具体的に言うと、今まで〇〇町としての単位が失われ、政治力が無くなってしまったことです。
議会が五島市に統合されてしまうと、旧町の政治力は奪われたも同然です。例えば五島市の議会で
- 〇町・・・議員10%
- △町・・・議員20%
- ×町・・・議員30%
- 福江市・・・議員50%
という構図になれば、小さな町の政治的な意思は、五島市の政策として反映されなくなります。
考えてみれば、五島市が発足したのがH16年ですので、令和元年年時点ではまだ15歳です。
それ以前、五島市は1市5町で運営されていました。例えば今60歳の人から見れば、
- 旧町時代・・・45年
- 五島市時代・・・15年
という事ですので、「五島市民」よりも、「旧町の町民」という感覚が強いのも納得できます。
実際に、旧1市5町から五島市に合併する際は、
合併すれば、周辺部の地域の過疎化に拍車がかかり、昭和29年に福江市に吸収合併された旧奥浦村や旧崎山村のように、恐らく周辺部地域は過疎化が進むと心配されております。
合併協議会が実施いたしました住民アンケートでも、合併に対して不安なことの質問に対して、中心部だけがよくなり、周辺部は取り残されるおそれがあるとの答えが最も多く、全体の48%になっていました。
との声がありました。(H16.9月五島市議会 草野議員の質問)
遠くなる政治
ここで一つ、具体的な数値を紹介します。
昭和60年.奈留町
- 町の人口・・・5207人
- 町長選挙の投票率・・・95.36%
平成24年.五島市
- 市の人口・・・41079人
- 市長選挙の投票率・・・61.9%
上記の「奈留町」では、町民の政治参加の意識が高く、統合された三井楽、冨江、玉之浦、岐宿も、ほぼ同じ傾向だと考えられます。
町の時代は、投票率も高く、町民にとっての政治は身近なモノでした。
合併前は、議会のたびに商店街が活気づき、連日に渡って飲食店が繁盛していたという話も聞きます。
ところが、市町村の合併によって、「政治」は町民から遠いものになってしまい、自分たちの生活でコントロール可能な部分が無くなってしまいました。
現代でも、「人口規模の低い自治体ほど、選挙の投票率が高い」というデータがあります。
https://nakanishidaisuke.com/2019/05/01/senkyo/
一部の町は、財政的に豊かであったにも関わらず、合併によって「美味しいところだけ持っていかれた」という声も聴きます。
合併に至る経緯
「平成の大合併」と称される市町村の合併は、全国の津々浦々で推進されました。下記のページに検証が紹介されていますが、合併の理由としては全国的に
①財政的な危機感
②高度化・多様化する行政需要、広域行政への対応
③国・県からの指導
④地域の活性化を目指して
⑤従来からの広域連携の延長として
⑥地域の一体感の醸成による合併気運の高まり
⑦単独行政を選択した場合の疎外感へのおそれ
⑧アンケート等による住民の意見の反映
⑨ 万人特例の適用
http://www.zck.or.jp/teigen/gappei-ma.pdf
などが挙げられています。五島市に関しては、
三位一体改革による交付税の見直しなど、今後、地方自治体は厳しい財政運営となることが予想される。
また、全国的な市町村合併の大きな流れも考慮すると、合併して行財政基盤を強化する必要があった。
とあります。さらに
「合併による問題点と解決策」の中では、
合併後新市の財政状況はかなり深刻な状態となっており、2005 年度には財政健全化計画を策定する予定である。
との記述があります。
http://www.toshi.or.jp/app-def/wp/wp-content/uploads/2013/09/gotou050317.pdf
令和の自治体
平成の時代は、財政的な面から、国主導で合併が推進されてきました。
そして今後も、広域連携として「圏域」という概念が提唱される中で、広域連合は加速すると考えられます。
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15509207401530
さらに大きな流れとしては、「大阪都構想」や道州制の議論も加速していきそうです。
私はこれからの時代、地域の事は地域で決める方が、地域の多様性が深まり、地域の価値が上がると考えています。
- 人口減少・人手不足
- 交通網の拡張と技術革新
- IT関連技術の発達と事務処理負担の効率化
といった時代の変化を見据えながら、
中~長期的に望ましい行政単位・連携の方法
を模索していく事が大切な気がします。