明治~平成までの国民心理をざっくりまとめてみた

開国から150年ちょい

明治~平成の終わりまでを、「国民の心理」に焦点を当てながら、ざっくりまとめてみました。

難しい年号や単語は出てこないので、仕事の合間に気楽に読んでいただけると幸いです。

明治は「焦り」

明治以降、日本は帝国主義の流れで「負け組」(=植民地)とならないように、急ピッチで近代化を試みました。

幕府を倒し、政治の中枢にいる人たちの心理は「焦り」です。

帝国主義の中でいち早く、近代化しなければ他国に支配されるという想いが政治の中心にありました。

四民平等、国民皆兵、近代教育、言語の統一・・・

そうした制度設計の基盤にある考え方は、「中央集権」です。

国が他国から侵略されないように、中央の号令で機敏に動く、有能な兵士が必要だったのです。

しかもそれはあまりにも性急な仕事であったため、士族の反乱や民権主義者からも激しい抵抗に合いました。

しかし結果だけ見れば、東南アジアの国々が次々と帝国に侵食される中で、近代化した日本はある程度有利にゲームを進めることが出来ました。

日清戦争・日露戦争後は「驕り」

そうした「帝国主義」というルールの中で、日清戦争、日露戦争を経て、ようやく日本が手に入れたものは、「勝ち組」のステータスとも言える植民地です。

ところがこの勝利がもたらしたものは、国民全体の「驕り」です。(=日本は一等国の仲間入りだぜ!)

その弊害として、列強の国々に対しては強く物申せない立場にある(臥薪嘗胆)ものの、東南アジアの国々には見下すような「驕り」が生まれてしまいました。

そうした「驕り」が少なからず影響し、手にした植民地を上手く統治出来ないまま、泥沼の日中戦争戦争・太平洋戦争へと足を取られていきます。

敗戦後は「がむしゃら」

日本は太平洋戦争を経て敗戦国になりました。

アメリカ側の政治都合に沿って憲法が作られ、教育制度や農地改革も行われました。それだけでなはなく、「冷戦の論理」に巻き込まれる形で、現代にも禍根を残している自衛隊が発足しました。

しかしながら、国内の中央集権体制そのものは、明治のまま引き継がれてしまいました。

そして国民の99%は、「アメリカの世界政治戦略」のことなど知る暇もないまま、ガムシャラに戦後復興に邁進しました。

そこで運良く働いたのは、

  • 明治期に画一化された言語と中央集権体制
  • 戦争時代に刷り込まれた「一生懸命」気質

です。戦後は朝鮮戦争の特需やベトナム戦争の特需にあやかり、日本国民が「がむしゃら」に働いた結果、「奇跡の経済復興」を成し遂げることが出来ました。

これは日本を取り巻く外的な要因(冷戦構造)と、日本が明治から培ってきた国民気質(頑張り屋さん)が上手くマッチした、偶然の産物です。

バブル崩壊後は「萎え」

昭和の終わりごろまで長く繁栄を謳歌した日本経済ですが、そうそう長くは続きませんでした。

それは戦後の経済モデルが「コモディティ生産」に特化した社会であり、いわゆる「いのーべしょん」的なモノを生み出す社会構造ではなかったからです。

にもかかわらず、バブル期の成功体験から根本的な変化をすることがないまま政治も経済も停滞し、「失われた○○年」という言葉が定着しました。

結果として、若者は夢を描けず草を食べ、出生率は減少し、デフレは常態化し、高齢者が人口の3分の1を占める、将来不安だけが横たわる「萎え」型の社会になってしまいました。

平成以降は「ワンチャン」狙い

昭和生まれの偉い立場にいる方々が、何とか「逃げ切り」を狙っている一方で、平成生まれの若者は、日本という国家に「明るい未来」を描けていません。

新聞を開けば社会問題が山積し、社会に出ればツマラナイ因習と人間関係に束縛される羽目になります。

現実逃避の手段としてゲームに没頭し、延長線上にある現実に対しては、ゲーム感覚で仮想通貨に手を出したりしみます。

それもそのはずで、現実世界は圧倒的に「オワコン」状態だからです。

現実的に、仮想通貨の取引所が数十億円の利益を出しているという話もありますから、「ワンチャン」狙いで仮想通貨で一発逆転を狙うのが、結果的には一番現実的な選択肢という皮肉です。

それに加え、時間軸とともに「時間」や「場所」に囚われない生活が可能になっています。日本でなくても、ひとまずお金があれば生きていけます。

仮想通貨で億単位のお金を稼げば、自分が死ぬまでくらいの間は遊んで暮らせそうな夢を描けます。

このように、現実が詰んでいる分だけ、仮想世界で夢を見る若者が増えているのは、ある意味で真っ当な現象だと言えるでしょう。

技術をベースに地方復権

日本の政治制度とシステムは、世界的にも非常に複雑です。

それは明治から一貫して、中央集権体制そのものに揺らぎがなかったからです。

ところが現代では、「限界集落」や「消滅可能都市」という言葉に代表されるように、地方が瀕死状態に陥っています。

そろそろ地方の権力を、地方に返してやるときです。

その上で、現代の最先端技術をベースに据え、地方で

人手が不要・低環境負荷で持続可能な社会

モデルを描くことが出来れば、地方に新しい産業も生まれ、結果として社会全体に活力が生まれるはずです。