激務が高じて「悟り」を開いた話2ー不安ー

(当時の日記に書いていた内容を出来る限り原文のまま掲載してます)

給料日の朝

朝、起きても尚、憂鬱な気持ちが一向に解消されていないということに気が付く。

そしてこの問題(仕事で抱えているプロジェクトの炎上)の本質は、戦争と同様に、かなり根が深い問題なのではなかろうか、と悶々と考える。

朝起きていつものように銀行の口座を確認し、計画よりも少し多い金額が振り込まれているということに気が付く。

それは度重なる残業の副産物だ。

このお金を得るために、私はこのような苦渋の心理状態に置かれているのだろうか、と思う。

残業代は多いけど心の余裕がない

精神的な脆弱性を抱える私の心は、アラート信号を発していた。

確実にこのままでは、欝的な症状を発症してしまい、人生そのものを台無しにしてしまう恐れがあるだろうと考えた。

会社に命を捧げてまで、いったい何を得ているのだろうか。

或いは、一人の人間が命を捧げてまで、達成すべき事柄があるのだろうか。

命より優先する論理など、少なくとも一つもないはずである。

そのため私は、自分の命を守るため、来年度からリスクを取った行動をとることにした。

「80時間残業したら、仕事を辞めます」。

これは突飛なアイデアだけど、完全に個人の自由の問題である。

100時間以上も平気で残業をしている上司を見て、到底真似できないな、と思っていた。

度重なる残業や仕事上のストレスが災いして、精神的に追い詰められている同僚もいた。

最悪のケース(死を選ぶか退職を選ぶか)だったら、私は確実に退職を選ぶであろう。

そして仕事を終えて

今日も早朝から9時ごろまで仕事をして、飯を食堂で食べてからシャワーを浴びる。

なんていう毎日だろう、と思う。

これが永遠に続かないということは分かっているのだが、そこにどんな意味があるのだろう?と思う。

そして私は、今朝考えたことの基となる考え方に関して、私が担当したテスト経験をもとに、以下のようなメモを残す。

計画しないことは実現しないし、書いた以上の事は生まれない。

物事は計画の段階で、その成否が決まると言っても過言ではない。

そんなメモを、本田圭介の語録のような形で書き綴る。

そしていつまで目を瞑ってみても、およそ仕事のことしか考えられない。ぐるぐるぐるぐると、仕事のことが頭の中を駆け巡り、それを意思の力で振り切ることができない。

あれだったらどうしよう、これだったらどうしよう、という不安要素ばかりが頭の中を駆け巡っている。

 

(続く)

https://nakanishidaisuke.com/2017/09/30/pandora-box/