「変な島」と第二次ルネサンス

人口減少が著しい、五島列島に住んでいます。働く現場も人手不足、後継者不足でして、このままいくと五島劣等と呼ばれるくらいに、コミュニティの活力が下がっていきます。

特に介護、医療、サービス分野が深刻ですね。現在の大本営の方針では、都会から高齢者や女性を地方に誘致したり、低賃金分野での外国人の受け入れ枠を増やそうとしています。

でも結局、人をヒトで補う今までの仕事のやり方では、生産性が上がらず負のスパイラルになってしまいます。

そこで発送を転換して、今までの仕事はロボットに譲るという、「変なホテル」的な発想が必要です。

今後の世界の流れを考えれば、今までの仕事は、好むと好まざるとに関わらず、人間から切り取られていきます。

そうであるならば、地方こそ先手を打って自動化を推進していくべきです。

それが推進しやすいのは、社会システムが知恵の輪のように複雑に絡まっている都心部ではなく、人手不足に陥っている地方だからです。

更に言えば、物理的に外部の空間と断絶されている離島が理想的です。

変な島プロジェクトは、重心と方向性を失いつつある世界経済と社会にとっても魅力的です。なぜなら、ロボット化とAI化が同時平行で進む中で、変な島はその最先端モデルを示し、社会モデルをパッケージ化することが出来るからです。

ここで大切な事は、どれか1つに絞って自動化を推進するのではなく、同時平行でプロジェクトを推進することです。

具体的には、現在一部の地域で実験が行われている全自動運転や無人レジだけでなく、医療ロボや海上輸送の自動化も、社会システムの一部として同時平行で行います。

このプロジェクトが進展すると、現在働いている多くの人は、仕事を失います。

しかしだからと言って、失業者が路上生活者となる訳ではありません。
なぜなら、社会全体が自動化されると、最低限の生活コスト(衣食住)がますます下がるからです。

そのため問題は、「最低限の生活保証」ではなく、最低限の生活の上に、何を乗せるか?ということでしょう。

働くことの意義は益々薄れ、余暇の時間と過ごし方の比重が増えます。

そうなったとき、如何に生きるべきか?を教えることが大切となり、従来の知識偏重型の学校の価値は薄れていきます。

これからの学校、地域の寺子屋では、「良い遊び方」が必修科目になるかも知れません。

そうなったとき、ようやく人類はホモ・サピエンスとして、人間的な想像力や独創性を発揮できるようになるでしょう。

芸術的、創作的な活動の同時多発的な勃興。

この流れは、一部の特権階級だけでなく、より大衆化された「第二次ルネサンス」なんて呼ばれるかも知れません。