政治家になるには(3)~志望動機と価値観~

ねこ

政治家になるための志望動機はどんなものがあるの?

政治家になるための価値観はどんなものがあるの?

これには正解はありません。

ただ、深く自分自身の生い立ちや内面と向き合う必要があると思います。

そこで今回は、31歳で市長選挙に臨んだ私の事例のご紹介です。

31年間の人生を振り返りながら、その背後にある価値観について、ご紹介したいと思います。

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小中時代は井の中の蛙

私は小学校から中学校のまでの9年間、ずっと1クラスでした。

今となっては人口64万を誇る、千葉県船橋市の中で、そんな小さな学校があるのかと不思議に思われますが、実際にそうだったんです。

しかし当然ながら、私にとってはそれが普通であり、それ以外の学校とは比較のしようがありませんでした。

楽しみと言えば定期的な「席替え」で、「クラス替え」という行事の楽しみを知ったのは、高校になってからです。

そんな小さな学級の中、勉強とスポーツは割と上位の方だったので、井の中の蛙状態である事は否めませんでした。

小さいころから負けず嫌いで、必要以上に大きな自信とやる気に満ちて、高校に進学しました。

高校時代は中の中

意気揚々と県立船橋高校へ進学し、学級の規模は8倍くらいになりましたが、得意としていた勉強もスポーツも、目立った存在にはなりませんでした。

勉強では、相対的な順位がいつも真ん中位で、唯一の得意科目は英語でした。

英語を通じてネイティブとお話をすることは非常に楽しく、オーストラリアへの2週間のホームステイは今でも忘れられないくらい、わくわくしていました。

知らない人と言語を通じて関わるのは楽しい

そう実感しました。

サッカーでは、背番号の10番が欲しくて立候補しましたが、結果的には「実力に見合わない10番」を貰わず、ラッキーだったと思います。

レギュラーに慣れない悔しさから練習に励みましたが、結果的には公式試合でのプレーは少なく、充実はしていたけれども、少し消化不良で終わった気がします。

大学時代はニッチ戦略

9年間続けていたサッカーは大好きでした。

ですが、年齢を重ねて視野が広がるにつれて、「楽しさや達成感」よりも「周囲との劣等感」を感じるフィールドになっていきいました。

それは競技人口が多く、自分の中での「負けず嫌い気質」が強かったからだと思います。

自分自身の偏屈な心理の根本を知りたい

という想いからも、人とはちょっと違う、立教大学の現代心理学部という道を選びました。

大学時代は、「競技人口が少なく、競技経験にハンデがない」スポーツに打ち込む事にしました。

それがローラーホッケーというマイナースポーツで、このフィールドで4年間トレーニングを積み、全国大会で優勝出来ました。

「仮説は間違っていなかったんだ」と自己効力感を得ると共に、今後の生き方としても、

参加者の少ないフィールドが良さそうだな

と本能的に感じました。

社会人時代の気づき

他の多くの大学生と同様に就職活動をして、自己分析や会社研究を行い、エントリーシートを書きました。

社会人になる上で重視したのは、「専門性の高さ」です。心理学とは全く別のフィールドでしたが、システムエンジニアという職種を選び、チャレンジする事が決まりました。

ハンデがあっても、努力すれば埋め合わが出来る

そう信じてマイナスからスタートし、入社してからは真面目に勉強に励みました。

ところが社会人3年目の頃に、システム系特有の「炎上&激務」に遭遇し、見事にドツボにハマりました。

朝起きてから寝るまで、ずっと仕事の事しか考えられません。

終わらないシステムの処理、迫りくる納期、溜まっていくエラーの件数・・・。

お金を頂いて仕事をするのは決して楽な事ではありませんが、納期というプレッシャーに追われる中で、ビルの密室で少しずつ水位が上がっていくような心象でした。

下手をすると、本当に命に関わるかもしれないーーー。

そんな危機感を感じながら仕事に追われ、ある日突然、堰を切ったように大きな認識の変化が生じました。

都会の論理とシステムは、基本的に人への容赦がない

もしも仕事に忙殺されたら、生きている意味がない

当然と言えば当然ですが、私はこの事を強く実感しました。

自分の人生を生きなければ

そう認識を改めました。

退社の決意と葛藤

そこから先、自分の人生を取り戻すために「会社に縛られず生きていく」事を決めました。

具体的には、「やりたい事を全うする生き方」への転換です。

しかし、いざ会社を辞めるとしても、「どうやって生きていくか?」が見つからず、踏み出す勇気も足りていませんでした。

一番は、会社からの安定した収入が途絶える事に対する、「お金の心配」でした。

会社を辞めたとして、いかに生計を立てるか?

その葛藤に対する出口が見つからない中、

私はたまたま旅行で五島列島を訪れました。

私はここで、具体的な「夢」が見つかりました。

外国人向けのゲストハウスを開き、

都会と異なる価値観で生きていく

私は中学時代から英語が好きで、人と話すのが好きでした。

五島には何の縁も人脈もありませんでしたが、私は迷わずそれを選ぶことにしました。

五島生活の開始

そんな訳で会社を辞めて、五島に移住を始めました。

当初の目標はゲストハウスでしたが、私が五島に来てからは、それが「新規性が乏しい事」のように感じられました。

既にいくつかお店が存在し、私以外の人でも始めようとする人が少なくなかったからです。

サッカーで悔しい思いをした高校時代、そして大学時代の経験から考えても、「多くの人が参加しているフィールド」に飛び込むことは、あまり良い選択ではないと感じました。

そこで、まだ島では誰も始めていなかった、「自然を活かしたマリンスポーツの事業」と、「外国人向けの観光ガイド」を始めました。

宿としてゲストハウスを始めなくても、観光案内ガイドを通じて、外国人とお話する事は可能です。

そして事業が一段落した後に、「次は何をしよう?」と考えました。

夢のフィールド、五島

私にとって五島とは、

探していた「夢」を与えてくれた場所

です。結果的にはゲストハウスを実行しませんでしたが、私の人生の決断を後押ししてくれた場所です。

そのため、私が五島に出来る最大限の恩返しは、

五島で「夢」を実現できる人を増やす事

だと思っています。0ベースで世界や社会を見渡した時、「地方政治のフィールド」に飛び込むことが、最適な選択だと感じました。

地方政治の世界は、新陳代謝が求められる一方で、挑戦する「ハードルの高さ」から、「なり手不足」が指摘されているフィールドです。

さらに踏み込んで、地方政治の中身を見てみると、旧態依然の慣行や風習が障壁となり、新しい風が吹き込まれず、地域社会の持続可能性が危ぶまれています。

財政的にも持続性が見通せず、住民と行政の温度感・距離感は、お互いの手が届かないくらいに遠く感じます。

改革が求められるニッチなフィールドこそ

移住者の私がチャレンジすべき山

だと感じています。

これは一見すると、多くの人が反対する、馬鹿げたチャレンジかもしれません。

しかし、コロナショックに代表されるように、これだけ変化が激しく、従来の常識や正解が通用しない時代です。

2020年4月5日、徳島市では、史上最年少の女性市長が誕生しました。

さらに4月12日は、壱岐市で移住者の若い男性が市長候補になろうと奮闘しています。

新しい時代の波は、もうそこまで来ています。

一緒に、新しい時代を切り開いていく仲間を募集しています。

長い記事でしたが、読んで頂きありがとうございます。

参考書籍

こちらの本はバイブルとしておススメです。

法律の事や準備の進め方など、大変詳しく書かれています。