政治家・リーダー
本日のテーマは、
令和の時代の理想的な政治家とは?
です。この辺りの知見も参考にしながら、考えていきます。
昭和の政治家
昭和の時代は、組合の親分的な方が、政治家の象徴だったと思います。
リーダーシップを発揮してカネとヒトを大胆に動かし、周りを鼓舞して盛り上げる。
中央集権型のシステムの中で、親分が旗を振り、1~100まで指示を出すような形です。
そんな「強い・頼れる」キャラクターが、昭和の政治家のイメージだったと感じます。
令和の政治家
参考リンクにもありますが、令和の時代のリーダーには、真逆の「弱さ」が求められます。
それは優柔不断とかいうネガティブな意味ではなく、「足りない能力を相互に補完しあう」という、ポジティブな意味です。
AKB的なアイドル選挙もそうですが、
「弱さがあるから応援したくなる」
そんな共感が求められる時代だと感じます。
昭和のリーダー像と、令和のリーダー像は、180度真逆ですが、こうした変化が起きた要因を考えてみます。
要因①. 「正解」の多様化
従来の地方における政治的な「正しさ」は、割とシンプルなモノでした。
- 国から補助金を引っ張ってくれば良い
- 大きなハコモノを作れば良い
- 地元にお金をバラまけば良い
そんな力学に基づき、地方の政治も国の政治も、おカネの綱引きをしていました。ところが現代では、
補助金やハコモノ・ばら撒きのせいで、かえって地域の活力が削がれている
という事態も起きています。
単に、お金をバラまけば良いのではなく、地域や社会・経済を全体としてどうデザインするかが重要です。
その意味で、「正解」の数は従来のように単一ではなく、複数存在します。
「正解」の数が増えている以上、パワーのある政治家が一人ですべてを決める事は、リスクを高めていると言えます。
要因②. 競争時代から共創時代へ
経済の成長が約束されていた時代は、
他社を出し抜くための競争
で経済が回っていました。ところが、低成長が常態化した現代では、「オープンイノベーション」と呼ばれるように、
新しい価値を生むための共創
が求められます。従来の仕切られたオフィスではなく、コワーキングスペースが増えている理由もそこにあります。
そうした中で、リーダーが今までのように、「オラオラ系」で頑固にブイブイ言わせていたら、共創が生まれません。
地方の自治体も、減り続ける人口を前提に
(我々の)自治体が存続するための方法
を悶々と考えるのではなく、
(自治体間で)理想の暮らしを生む方法
を、垣根を越えて考える必要があります。
要因➂. ツールの発達
昭和(及びその延長線上の平成)の時代は、情報ツールが現代ほど発達していなかったので、「チームの力」にも限界がありました。
ところが令和以降は、VRを始めとするコミュニケーションツールが益々発達するため、物理的な制約はほぼ0になります。
現代でさえ、会議はWEBで相手の顔を見ながら行う事ができ、YouTubeで相手の話をじっくり聴くことができます。
そんな状況で、リーダーが「なんでもできちゃう完璧な人」だと、「メンバーが介入できる余地」が少なくなってしまいます。
そのため、チームをデザインする上では、「組織型」ではなく、「サロン型」の方が高い成果を発揮できます。
極論を言えば、世界中の誰とでも一緒に仕事が出来る時代です。
そこで大事なのは、カリスマ的な一人の力ではなく、
「メンバーが共感でき、一緒に創りたくなるビジョン」
です。
まとめ
令和の時代の政治家の使命は、
共感をベースとしたファンをどのように獲得するか?
です。そうした変化の要因として、
- 正解の数が多様化し
- 競争よりも共創の重要性が増し
- チームを作るツールが多様化した
ことが挙げられます。
そのため、政治家を目指すべき人に求められるパーソナリティも、
従来の政治家とは真逆の「弱さ」である
事を自覚しておくことは、非常に大事だと感じます。