勤勉なお国柄?
日本人は海外の人から
「熱心に働く・勤勉だ。」
などと評されることが多いです。
それが原因の一つとなり、長時間労働とかも問題視されています。
そんな日本社会では、「勤勉な努力」が何よりも重視されます。
しかし思うのですが、私は
「努力だと思っている時点で、既に無理している」
から、どこまで行っても「その分野の一流選手」にはなれないと思うのです。
その分野の一流選手とは、呼吸するように生きているだけで、自然にその分野での経験値が溜まり、レベルアップしていく人
だと思います。
その人自身にとっては、「自然な事」ですが、他の人から見ると、「信じられない努力」のように映ります。
呼吸するようにできる事
私の場合、「文章を書くこと」と「ランニング」が好きです。
中学生の頃から、毎日日記を書き続けています。
キャリアはかれこれ15年以上です。そんなこともあってか、
「文章を書かないと落ち着かない体質」
になっています。
ランニングについては、社会人になってから始めたので、まだキャリアは8年くらいです。こちらも、
「走らないと落ち着かない体質」
になってしまっています。そんな生活(走らない日が少ない)をしていると、
「いつも頑張って走っているねー」
とお声を頂くのですが、私にとっては毎朝納豆を食べるのと同じくらい自然な日常行為なので、「努力をしている」という感じがしません。
他の何事もそうですが、
あー、俺、頑張って努力しているなー
と思っている時点で、まだまだです。
日常の一部として、習慣的に行えること、それを仕事にする人生が楽しいと思います。
一億総努力社会?
先日、大リーグを引退したイチロー選手に対して「国民栄誉賞」を与えようか、という話がありました。
https://mainichi.jp/articles/20190404/k00/00m/050/557000c
イチロー選手と言えば「努力の代名詞」みたいな存在ですが、氏はこれを辞退する方針らしいですね。
このことからも、日本は国として「努力に対する惜しみない賛美」をする社会だと分かります。
言うまでもなく、イチロー選手の努力は称賛に価すると思います。
しかし、
日本国民の全員が「イチローを模範とする」社会
は、何だか薄気味悪い気がします。
極論、現在の中国のように、スーパーストイックで、
寛容さの乏しい社会になってしまう気がします。
中国のスーパー学歴社会の実状
小学3年生が毎日12時まで宿題に追われるとか、超可哀想です。その背景は、、
【聴き逃し】Nらじ | 2019年4月5日(金)放送 | 中国リアルライフ | NHKラジオ らじる★らじる #radiru https://t.co/7KsRVJWfi6— 中西だいすけ (@wakuwaku230) 2019年4月5日
中国学歴社会の続き
1、中国社会が学歴重視のヒエラルキー構造であること(皆が勉強に走る)
2、教員の給与が生徒の成績とリンクしていること(教員が過度な宿題を課す)
3、人口13億人であること(競争に拍車がかかる)
このような理由から、子供に悲惨なクレイジーな競争が。#中国社会— 中西だいすけ (@wakuwaku230) 2019年4月5日
努力しなくても素晴らしい
努力をする人がいても良い。称賛されても良い。
しかし同時に、「努力をしない」人がいても良い。
ただ健康に毎日暮らしているだけ。
それ自体も称賛されても良い。
朝の散歩メモ
川で暮らすカモも
道端で眠るネコも
リードで繋がれた犬も
毎日肩肘張らずに生きている。ただそれだけでも十分だし、素晴らしいって思う。多分、人間も同じ。自殺だとか引きこもりだとか、動物には全く想像も出来ない行為なんだうな、って思う。— 中西だいすけ (@wakuwaku230) 2019年4月4日
今の日本社会は、
「努力しない・頑張らない=社会的な価値が低い」
とみなす傾向が高いと感じます。だからこそ、
社会に出たくない人・生きづらさを抱える人
が量産されているのではないでしょうか。
参考:ダイヤモンドオンライン
https://diamond.jp/articles/-/198874
日本に生きづらさを感じる日本人には目を向けず、
足りない労働力を外国から補おうとしている現在の社会は、
どうなんでしょう?