生活基盤を貸す生活
私は現在、大学4年生に部屋の一部を貸して生活をしている。
彼のほうでは、短期滞在者住宅にさえも入れないような状況なので、私の家で「ひとまずの間」住ませている状態だ。
家を貸すと言うことはつまり、冷蔵庫・洗濯機・シャワー・トイレと言った生活必需品も漏れなく貸しているという状態だ。
そして彼は、こちらに来たばかりで移動手段もままならないものだから、移動手段としての車やバイクも貸出ししている。
そんな風にして生活が始まってのだが、一つだけ気になることがある。
それでもお金は借りない
生活必需品もままならない状態の彼であるため、しばらくの間は家を借りるにせよ車を買うにせよ、資金繰りが一番の問題となりそうだ。
「数十万円くらい貸してあげようか?」
という私の勧誘に対しては、
「いや、それは流石に申し訳ないからいいっす。」
と返してくる。
その気持ちは分からないでもないのだが、必要なものを借りると言う意味においては、少しだけ違和感を感じてしまう。
(どうして生活必需品は借りることに抵抗感がないのに、お金を借りるのには抵抗感を感じるのだろうか?)
お金を借りる=悪いこと
「お金を借りる=悪いこと=迷惑なこと」
と言う等式が、どうも日本人の頭の中には根強くはびこっているように思えて仕方がない。
しかし彼は大学4年生で、どう考えてもこれから少なくない金額の所得見込みがあるはずだ。
そう考えると、お金を貸す分には何も抵抗感がない(=返済の見込みがある)訳だが、やっぱり借金は悪であると言う固定観念が借り手の側にはある。
お金は貯めるもの
それと同じように、日本人の頭の中には「貯蓄=美徳」であるかのような、可笑しな理屈が頭の中にはびこっているように思われる。
お金の立場からすれば、使っていないお金は紙くず同然に過ぎない。
金は天下の回り物と言うが、血液と同じで潤滑していないと意味がない。走らない車に意味がない様に、使わないお金には意味がない。
にもかかわらず、日本人の発想は自分からごみくずの山を築こうとするベクトルに向かっているように思えてならない。
いかにお金を使うか?
よりも圧倒的に、
いかにお金を貯めるか?
を考えているように思える。
それと言うのもすべて、国民の貯蓄を原資に好き放題に国債を発行して遊ぼうとしている政府の策略のように思えてしまうのは私だけだろうか。