高校時代にサッカーの背番号10番が欲しかった話

  • 2017年2月10日
  • 2021年3月28日
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高校入学当初の私

高校入学当初、私は全く別の環境でかなり浮き足立っていた。

なにしろ、幼稚園の頃から中学校の卒業まで、私は一度も「クラス替え」というものを経験したことがなかったからである。

関東でそんなことってあるの?

そう思う方もいるかもしれない。(何しろ私の出身は千葉の船橋である)

ところがどっこい、私が卒業した小中学校は「陸の孤島」などと呼ばれ、少子化が進んでいる団地だったのである。(今でこそ大型のマンションが建てられてクラス数も増えているらしいが)

そうしたこともあり、同じ学校で8クラスもある高校という未知の環境に浮き足立っていたのである。

そして私自身、高校から「自分自身を変えていきたい」という気概に一人で燃えていたのである。

サッカー部の初ミーティング

私は小学校からずっとサッカーを続けていたこともあり、迷わずサッカー部に入部した。(サッカー部に入るためにその高校を選んだと言っても過言ではないのかもしれない)

広いミーティングルームに同じ1年生が合計で30人弱集まり、初顔合わせとなる。

まだ互いの顔も、サッカーの技量も知らない人たちが集まるわけだから、当然皆どこかよそよそしい。

そんな中、便宜的にユニフォームを支給する流れになったので、背番号が順番に読み上げられていき、その番号を欲しい人が挙手するという流れになった。

背番号10番

背番号の10番が呼ばれた時、後ろの席に座った私は迷わず手を挙げた。他の一年生は好奇の眼差しで私を見返す。

何しろ10番を自分で立候補するということは、

「自分が一番なんだ」

という確固たる自信がないとできない宣言である。

私は全然周りのレベルなど知らなかったのだが、ただ10番を背負って高校サッカーをしたいという思いだけがあった。

それに自信がないというわけでもない。

中学生の頃は10番だったし、市の選抜メンバーにも選ばれたこともある(県選抜には選ばれなかったが)。

しかしそんな威風堂々とした私の挙手に対して、一人の1年生が同様に手を挙げていた。

運命のじゃんけん勝負

皆ドヨドヨとした雰囲気ではあったが、その場でサッカーの勝負ができるはずもなかったので、ひとまずはじゃんけんで10番を決める流れとなった。

私はそのじゃんけんに負け、10番ではなく24番のユニフォームをもらうことになった。

(まあ、大切なのは背番号じゃなくて実力だよな)

などと高飛車に構えていた私であったのだが、そのプライドは入部早々、見事に打ち砕かれることになった。

まさかのBチーム

各学年に30人くらいのサッカー部がいるので、高校には100名ほどのサッカー部員が在籍していた。

当然、実力ごとに「Aチーム」と「Bチーム」に分けられたのだが、私は「Bチーム」になった(しかもスタメン外)。

そして私とじゃんけん勝負をして勝った1年生は、早々にして「Aチーム」に昇格し、プレーすることとなった。

実際、彼のプレーや選手のレベルを見ていると、私は「井の中の蛙」であるということを思い知らされた。

(こ、こいつら・・・)

私は内心で、10番に手を挙げたことが恥ずかしく思えてきた。

要するに、私は何の根拠もない状態で10番を立候補するくらい、「天狗」になっていたのである。

同時に、自ら立候補したにも関わらず、ずっとBチームのレギュラーにすらなれないことが悔しかった。

サッカーばかりの日々

目に見える実力差を見せつけられたのち、私の高校生活の殆どはサッカーに注げられることになった。

一応は進学校だったので、赤点を取らないようにテスト勉強をする傍らで、残りの殆どの時間をサッカーに費やしていた。

期末テストの結果よりは、チーム変更の発表の方が関心度が高いくらい、高校生活の中心はサッカーだった。

「次こそはAチームへ」

サッカーノートにはそんな目標に掲げながら、朝練をしたり自分の課題を書き出したりし、汗を流していた。

全てはあの時の悔しさを晴らすためにーー

日々そう思いながら、練習を重ねていった。

今になって思うこと

そんな努力も虚しく、中々Aチームには昇格できないまま、月日は流れていった。

そして卒業してから10年近くも経ったが、今でもサッカー部の連中とは忘年会をしたりBBQをしたりしている。

「入部した時、あいつの立候補にはビックリしたよなー」

今でもそれは、サッカー部での笑い話(& 私の十八番の自虐ネタ)として話題に出る。

要するにそれは、(あいつがもしもあの時、10番になっていたら、相当可哀想な結果になっていたよな。笑)

ということである。

確かに私も、あの時じゃんけんに負けていて良かったと思う。

さもなくば、

「ずっとBチームなのに10番」

という情けないレッテルを貼られた状態のままで、私はサッカーを続けること自体が嫌になっていたかもしれないからだ。

しかし実際問題として、その経験が私に

「悔しいなあ」

という思いをもたらしたのは事実だし、同時にそれがあったからこそ、色々と試行錯誤し続けられたことも事実だと思う。

10番についての10年後の見解

高校のサッカー部に入って以来、ずっと私は10番(ないしは10番的な存在)を目指してプレーをし続けてきた。

残念ながら、高校時代はそれが実現できなかった(それが原因で、大学からは全く新しいスポーツを始めた)。

しかし思うのだが、誰もが10番にはなれないが、誰でも10番を目指し続けることは可能であると思う。

そして大事なのは、下手であっても「10番になりたい」と言い続けることなのかもしれない。

卒業して10年が経ち、ふとそんなことを思った。

高校に入学した時のように、無鉄砲な理想をいつまでも掲げていたいーー

 

そんな事を思う今日この頃。

 

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