スリランカのテロ
読売新聞によると、スリランカでのテロでは、ニュージーランドの銃乱射テロに対する報復? との報道がされています。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20190423-OYT1T50261/
私自身、このニュースには無関心でいられない理由があります。
一つは私が「心理学」を学んでいたことです。
そしてもう一つは、私がスリランカにも旅行した事があり、ニュージーランドにも語学留学した事があるからです。
スリランカは、仏教徒の方が多く、市内の人口密度は非常に高いですが、人はとても優しかったです。
ニュージーランドは、テロという言葉とはおよそ無縁と思われるくらい、世界中から観光客が集まり、大自然を楽しんでいました。
そして今、私が住んでいる五島には、
日本の中でも多くのカトリックの教会群が存在していて、
昨年は教会群が世界遺産にも登録されました。
「心理学・スリランカ・ニュージーランド・テロ・宗教・教会」
こうしたキーワードは私に強く関係しているため、
個人的に何か出来ないだろうか?
と感じています。本日は、その解決方法を考えてみます。
不満のはけ口
人間は社会で生きている以上、大なり小なり「不満やストレス」を抱えて生きています。
その原因は人それぞれですが、発露の方法も人それぞれです。
デモや抗議活動など、政治的な手段を用いる場合もありますが、「無差別テロ」は、究極の不満の発露方法です。
しかしおそらく、
無差別で悲惨なテロが起きてほしくない
という想いは、宗教や人種を超えた、最大公約数的な願望だと思います。
私は、実際にテロを起こした人の事は知りませんし、現時点では報道されている事しか分かりません。
ただ、少なくともテロを起こした人物は、「相当な不満」を抱えていたのでしょう。
私たちが普段、日常的に経験している「些細な不満やストレス」、その積み重ねと延長線上に、悲劇的な爆発テロがあったのだと思います。
私たちの生活で言えば
- お酒を飲んだり
- カラオケに行ったり
- 買い物をしたりして
多くの人がなんとか「不満やストレス」を解消させています。
そうした「ストレスを健全に発散する場」が、
テロが頻発している世界でも、ますます必要とされていくでしょう。
宗教の壁を越えて
今回の事件を受けて、宗教間の派閥は、ますます大きな「緊張関係」を迎えるでしょう。
国は権力を強化してテロの防止に努めるだろうし、検閲も激しくなります。
「発生を防ぐ」という対処療法も必要ですが、
「テロの発生原因を根本から取り除く(=不満の解消)」
というそもそも対策も必要です。
そのためには、私たちはそろそろ「宗教の枠」を超えて、
互いの不満を裸でぶつけ合う
必要があると感じます。
それは勢いとしては、夫婦喧嘩と同じです。
そこでたとえ、どれだけ汚い言葉の罵り合いがあったとしても、「無差別テロ」(夫婦で言えば殺人)が起こるよりは100万倍マシです。
現在は
- 〇〇教徒の礼拝施設
- ××教徒の集会・催し
がスタンダートです。
しかし今後は、お互いの宗派を超えて、歩み寄りが行われるような「複合施設」が求められるのではないでしょうか。
それは何も、大きな「ハコモノ」を建てるという話ではなく、宗教間の生活様式を上手くバランスさせ、「不満を解消する場」を作るという事です。
スリランカやニュージーランドにも、おそらくそういう場所はあるのでしょう。
しかし現実として、その機能や規模が不十分であったために、「不満の解消方法=無差別テロ」になってしまったのだと思います。
不満を解消するアイデアは幾つでも考えられます。
大切なのは、政治の役割として、
世代・人種・宗教の壁を越え、無差別テロが起きない社会
を目指すことではないでしょうか。
そのための手段として、心理学が役に立つと考えてます。