アメリカの政治と宗教
アメリカの政治において、非常に大きな影響力を握っているといわれているのは「白人福音派」と呼ばれる人たちです。
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考えてみれば、アメリカはそもそも建国の段階から、宗教とは切っても切れない国家です。
そのあたりのことを、歴史的に紹介した本がこちらです。
一見すると、福音派の主張とは異なる言動も多いトランプ氏が大統領に当選された背景として、本書では、
- 反知性的(偉そうな学者やエリートではない)である
- 下品で乱暴ではあるが、「正直である」という教義的なプラス
であると紹介されています。更に選挙期間中は、福音派の支持を得るために、様々な公約を掲げていました。(参考)
しかしながら、実際の教義や理念については、あまり知らなかったみたいです。
トランプ氏の実行してきた外交政策を見ると、殆どが「福音派」への支持を得るために表明してきたことであることが分かります。
若い世代と宗教
現在まで、日本では特定の支持基盤や政治団体と票が結びつくことがあっても、宗教的な組織が政治の中心とはなっていません。
そもそも、宗教的な話題を公にすることさえも、タブーな感じがします。
宗教の違いに関係なく、最低限度の生活は憲法で唄われ、いわれのない差別を受ければ大きな問題となります。
ですが、現代の日本の若者は、生活の上で宗教を必要としていない、というのが実体です。
宗教=ちょっと怪しい
みたいなイメージが少なからず存在するのも、一つには「最低限度の生活が満たされているから」という面があるかと思います。
宗教と「死」の距離感
しかしそれは、歴史的に見れば非常に稀な期間です。
過去の長い時代、社会は飢餓や疫病・戦争や紛争に苦しみ、明日の生活さえも保障されない状況でした。
そうした中で、「死」が身近な存在にあった人々が、現世や来世に救いを求めて宗教にすがるのは、人間的な心情としては理解できます。
一方で、現代の日本社会が推奨する延命的な生活は、人々を「死」の感覚から遠ざけようとしています。
苦しくなる生活
で、これからのことですが、人口減少だとか高齢化とか、日本の社会は全体的に「貧しくなる方向」に向かって進んでいるように思えます。
しかしその延長線上で、「宗教依存が当たり前だった生活」が再び来るかと聞かれれば、答えはおそらくNoでしょう。
宗教への渇望は、自らの死や、身内の死といった凄絶な状況を目の当たりにして自覚されるものだからです。
こうした背景を踏まえると、日本の社会で延命政策がとられる限り、
死ぬほど困窮はしていないけど、ゆとりのない生活
が国民的なスタンダードになり、「死」と宗教から人々は遠ざけられるようになるでしょう。
宗教的な結束は、時に社会の根底を覆すほどの力を発揮しますので、体制を維持する側から見たとき、国民の無宗教状態は、都合の良い状態であると言えます。