地域の人口が減ることは何が問題なのか?

  • 2017年10月13日
  • 2021年3月28日
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過疎地に住んでますけど?

五島市をはじめとする全国の過疎地域では、人口減少対策が重点政策として掲げられています。

どこの役所も「移住促進」とか「空き家の有効活用」とかに取り組んでいますが、本当にそれって深刻な問題なのでしょうか?

今回は、その点について、少し掘り下げて考えてみたいと思います。

動ける人、動けない人

今や世界中のどこにいても仕事ができる時代です。WiFi環境さえ整っていれば、何処でも空いた時間に仕事が出来ますね。

そしてその傾向はますます強くなっていきます。

場所に縛られず、自由な場所で働くことができる時代です。

当然、一生涯生まれてから死ぬまでずっと同じ場所で生活をするなんて言う人は、相当レアな人種になってくるのではないでしょうか?

五島に移住してからは、よく

「ここに骨を埋める気?」

なーんて冗談交じりに聞かれますが、ナンセンスな質問です。

だいたい、平均寿命が80歳に差し掛かろうかしているこの時代に、私が死ぬまであと何年かかるのか、分かったもんではありません(明日死ぬかもですけど)。

様するに、これからの時代を生きる圧倒的に大多数の人達は、「場所に縛られずに」動ける人なのです。

動けない人

それでは逆に、「動けない人」とはどういった人達でしょうか?言うまでもなく、高齢者+1次産業のみで生計を立てる人です。

身体がよぼよぼで動けなかったり、地縁や血縁、家の問題で動けないという人もいます。

そういった人達は動きたくても動けない状態にあり、人口減少の問題とは、まさしくそうした人たちのみに、大きな影響を与えます。

逆にある地域から他所へ移動しようとする人は、出身地域の「人口減少」に一役買っているのです。でもだからと言って、その人が生まれた地域に縛られ続ける必要はないのです。個人の自由です。

要するに、「動ける人」の人生にとって、「地域の人口減少問題」は、大した問題ではないのです。

近くに職場がなければ引っ越せば良い。

自然災害やその場所での生活が苦しくなったら、別の場所に移動すればいいだけです。

住めば都と言いますが、人間はだいたい何処でも生きていけるタフさみたいなものを持っています。

問題なのは「どこで暮らすか?」よりも、「誰とどう暮らすか?」ですよね。

高齢者福祉の問題

社会減としての人口減少が「動ける人」によって引き起こされている以上、「動ける人」にとっては人口減少は問題ではありません。

では一体誰にとっての問題になるのでしょうか?

言うまでもなく、その地域で「動けない人」にとってです。

「動けない人=社会的に不自由な立場=高齢者」という構図が成り立つので、問題は社会福祉の問題に帰結します。

「最低限度の生活」を保証するための行政コストは、人口が減少して税収が減るほど大きな負担となっていきます。

実際、私が住んでいる五島市なんていうのは、自主財源が2割もありません。財源の半分以上は国の交付金に頼っています。

情けない五島市の財政事情

だから実質、「動けない人」を支えているのは日本の国そのものであると言えるでしょう。

そう考えると、人口減少に歯止めをかけること自体は、市役所そのものにとっては死活問題ではないはずです。

それでも声高に「減少対策」を講じているのは、「もっと自主財源で何とかしろよ」という国からの圧力に他ならないでしょう。

結論

「人口減少」は国民全体の共通問題であるかのかのうように流布されていますけど、結局は「社会福祉」の問題です。

だって人口減少したところで、世界的に見れば人口はどんどん増えているわけですから。

だから人口減少対策を政策の本丸に掲げている市町村は、「動ける人」(=移住見込み者=将来の担い手)にとって本質的には訴求力のある提案が出来ない訳です。

立候補者は、選挙の時にそれ以外の口実を使ったほうが支持者の反応を得られる気がするのは私だけでしょうか?