英語が必修化
2020年から、小学校でも英語が必修になるそうです。
そうした流れを受けて、ますます英語の重要性は増してきそうです。
最近では、自動翻訳を始めとするスマートデバイスも発達しているので、
英語が話せなくても、生活に支障はないのでは?
とも思います。
確かに、ドラえもんの「翻訳こんにゃく」的な装置は、ますますその精度を高めていますので、支障はなくなると思います。
しかし、自動翻訳を間に挟むと、どうしても相手との「隔たり感」が生まれます。
それに、例えばスポーツの場面など、「いつでもどこでも」使えるようになるには、様々な問題が伴います。
そうした事から、
スマートデバイスには期待が持てるものの、
より深いコミュニケーションを取るためには、英語が話せた方が良い。
というのが私の結論です。
ペラペラでなくてもよい
私が今まで、インド人と関わったり、アジアの各国を旅行したり、NZで語学留学を通じて感じたのは、
英語は完璧でなくてOK
という事です。そもそも、完璧な英語なんてありません。
日本の教育では、どうしても「正しい英語」みたいな先入観を植え付けがちです。
そのため、私の友達でも、学力的には早慶レベルでも、英語に苦手意識を持っている人が少なくありません。
日本の受験英語は、少なくとも私の世代では、実用的な英語ではなく、単に「読む&聞く」レベルの英語だったのです。
「英語が当たり前」の世界の心構え
「受験英語」と「実用英語」は全くの別物です。
何とか受験英語を乗り切ったとしても、
今の世代の人はより一層、英語に接する機会が増えるでしょう。
英語の重要性がより一層増す世界を楽しく生きるポイントは、
- 完璧な英語はない。間違ってもOKだと思う。
- とにかく自分から外国人に話しかけてみる。
- どう伝えるか?よりも、何を伝えるか?の方が大事
という事だと思います。
世界には、日本人の人口よりも60倍以上の人が住んでいます。
人生に二つのパターンがあるとします。
- 日本人(1億)とだけ、日本語でコミュニケーションする人生
- 世界の人(60億)とも、英語でコミュニケーションできる人生
この二つを比べた時、圧倒的に後者の人生の方が楽しいと思います。
そうした人たちと関わる上で、英語は必須のコミュニケーションツールです。
人生を楽しく、広がりのあるものにするためにも、英語は出来た方が良いです。
参考記事はこちら
https://nakanishidaisuke.com/2016/12/24/words/
https://nakanishidaisuke.com/2016/12/05/go-to-school/