1兆円投資
例えば私が、「五島のために1兆円を使っても良い」となったら何をするでしょうか?
島の産業の中で有力な候補(一次産業と観光業)の中から考えてみたいと思います。
① 一次産業が儲かった場合
島の基幹産業は一次産業であると言われています。
例えば、1兆円を投資して、最先端のAI技術・センサー・ロボットを導入することにより、「高付加価値な製品の大量生産」が可能になったとします。
そうした場合、島内で生産した作物が、インターネット経由で島外で飛ぶように高く売れるので、投資をした会社は大いに儲かります。
問題はその後です。
儲かったお金はどのように使われるでしょうか。
資本主義の原理で言えば、「拡大再生産」が基本ですので、資本家は更に大きな土地や資本を買い入れ、儲けの幅を増やそうとします。
しかしここで肝心なのは、儲かる企業では人件費の高い従業員が必要とされない点です。
マシーンの周りで補助的な作業をする人間は、日本人ではなくて海外の安い労働者で十分となってしまいます。
そして更に大事なことは、「利潤の行き先」です。例えば私が経営者だったら、島ではなくて島外で豪遊するような気がします。
そう考えると、島で一次産業が勃興しても、経済波及効果は小さく、労働者は増えず、島での消費も喚起されません。
そうした「勝者総取り」な状況を生むことは、地元で長く農家をされていた人にとっては、全然ハッピーな状態とは言えない気がします。
② 観光業が儲かった場合
「観光業」の一次産業との違いは、お金を落とす人が島に来ることです。
ですので、恩恵を享受できる裾野が広いということです。例えば
ホテル、飲食、サービス、レジャー、物産、ガイド・・・
と言った様々な事業者が観光業から収益を見込むことが出来るので、こちらは一次産業と比べ、波及効果の高い事業であると言えそうです。
単純な話ですが、1兆円があったら、
「福江空港と成田空港を結ぶ」
ことにより、観光業が潤う機会が増えて、経済波及効果も高くなると考えられます。
ついでに、経済と社会の縮小、という問題についても考えてみます。
経済と社会の縮小
私が中学校の頃、「なぜ社会とか経済とかが、成長しつづけなくてはいけないのか?」というテーマについて考えていました。
その理由について改めて考えてみると、「今のままの生活」を維持するため、という点に落ち着きそうです。
今の私たちの生活を支える「当たり前」が、最近はイロイロな面で軋み、崩壊しつつあるように感じられます。
電気は自然災害で突然ストップし、道路や水の供給も、同じく自然災害の影響をモロに受けます。
それだけでなく、社会インフラとしての公共バス・交通網は容赦なく採算悪化で潰れてしまう時代です。
血液が足りない
社会にとっての経済は、血液のようなものです。
今、多くの人が地方の現状を憂い、「人口減少対策」とか、「地方創生」とか言ってますが、具体的にどの程度の活性化が必要なのでしょうか?
しかもそもそも、経済が活性化すると、社会は良くなるのでしょうか?
例えば飲食店では、お客が増え、今の仕事の2倍忙しくなることが、地方の高齢者にとってハッピーなことだとは思えません。
それよりも、いかにお店を畳むか、後継者を探すか、ということの方が、遥かに優先度の高い問題ではないでしょうか。
特に地方の有権者が望んでいるのは経済成長ではなく、今までどおりの安定した暮らし、です。
しかし、高齢者の「安定した暮らし」を支えるためには、やはり財源確保のために経済成長が必要、というロジックになります。
内部留保と消費マインドの冷え込み
しかし日本においては、成長する機会を見つけづらくなっています。
消費マインドが冷え込んでいることは、個人だけでなく、企業も同じです。
毎日新聞の記事によると、
企業が利益から税金や配当を差し引いた上で積み立てた「内部留保」(金融機関を除く全産業)は、2017年度末で446兆4844億円となった。
景気回復を背景に企業業績が好調なため、前年度末から9.9%増え、6年連続で過去最高を更新
と紹介されています。
企業が内部留保に走るのは、市場に「成長機会」が見出しづらいからです。
社会全体を農場に例えると、土壌全体が種まきに適さないから、種が撒かれない、という状況です。
合理的に考えれば、わざわざ育つ見込みのない(=収益性の低い)分野にお金を投資する意味がないからです。
まとめ
「今までどおりの暮らし」
の財源を確保するためには、経済成長が必要ですが、中々その機会が見つけづらくなってしまっています。
そのため個人も企業も、積極的にお金を使わず貯蓄に走り、経済循環はますます滞ってしまいます。
社会を良い意味で変えていくためには、「お金を使うこと」=「社会にとって良いこと」という教育が必要でしょう。