ざわつく五島
みなさんこんにちわ。
中西です。
本日は、長崎新聞1面への掲載から3日が経ち、今思っていることを率直に綴ろうと思います。
今回の件は、五島市民にとって、かなりのインパクトを与えたようです。
新聞購読者数は、島の大体1~2割程度な気がしますが、情報は「口コミ」で拡散していきます。
現在、五島のあちらこちらで、
今度の市長選に・・・
という話題が溢れている状態です。
応援>批判
現在のところ、私の耳にはあまり批判は入ってきません。
(もちろん、私の耳に入っていないだけかもしれませんが)
私の知り合いでも、割と心配や懸念をする声が多いかと思いきや、
頑張ってね!応援するよ!
という声の方が多いです。それは率直に嬉しいのですが、ちょっと違和感を感じたりもします。
その違和感とは、まるで
私:フルマラソンに出ます!
知人:頑張って!応援するよ!
というやり取りをしているような、違和感です。
違和感の正体
フルマラソンの件は、完全に「わたしごと」です。
ですので、上記のやり取りはすんなり受け止められます。
フルマラソンの結果は完全に私の努力次第であり、応援してくれる人は、原理的に結果に関与できません。
しかし選挙に関しては逆です。
選挙の結果は「わたしごと」ではなく、「五島市民」の事です。
当選すればいいね!
という声も頂くのですが、フルマラソンと違って、私は原理的に結果に影響を与えられません。(票を投じれないため)
それが何となく感じる、違和感の正体です。
選挙は始まっている
選挙自体は2020年の8月末だから、まだ1年とちょっと先の話です。
しかしながら、「五島市民にとっての選挙」は既に始まっています。
なぜなら、私の出馬表明によって、「選挙の争点」が提示されたからです。
- 若い移住者に、市長を任せるか?
- 若い移住者は、市長として信頼できる人物か?
- 若い移住者は、市長として五島の活性化ができるのか?
- 若い移住者を、応援したいか?
などなど。問いの立て方は人それぞれですが、少なくとも争点は生まれています。
今後、他の候補者が立候補を表明した段階で、「新しい争点」が生まれます。
私が一番勿体ないと思うのは、
- 立候補者が一人も現れず無投票となり
- 有権者が政治的な意思表示を出来ない事
です。
全国を見渡すと、この割合が増えています。朝日新聞によると、
市長選の無投票の割合は31・4%。前回の30・3%をわずかに上回り、3割という高い割合が続いている。
生まれる争点と審査期間
そしてこれからの期間は、「問いに対する審査期間」となります。
私の言動を見て、
(やっぱりこんな若い人には、任せられないなー。。。)
と思うのも、有権者としての判断です。
私が勿体ないと思うのは、選挙の候補者が中々立候補を表明せず、有権者が十分に候補者の事を知る時間が与えられない事です。
選挙告示日の直前になって出馬表明をしても、
え、この人誰!?
っていう部分を探るのに、有権者は負担を強いられます。
そのため、出馬表明は早い方が、有権者にとっては親切です。これは現職についても同じです。
一般的に、現職は圧倒的な知名度があるから再当選する確率が高いのですが、選挙への出馬を表明することにより、
現職の再選を許すかどうか?
という、選挙での争点が生まれます。
早い段階で出馬表明をすることにより、
市民にとっても考える時間(審査期間)が増えます。
私はこれから、五島市内を出来る限り回って、
五島市民に私の人物像を審査してもらう
活動をしていきます。
それが選挙に臨む人の、有権者への誠実な対応だと考えます。