最近、「地域活性化」って言葉を聞くけど、何の事?
そもそも、誰のために活性化するの?
こうした疑問に答えます。
この記事を読むことで、「地域活性化とは何か?」をイメージできるようになると思います。
事例としては、私が住む長崎県の五島市を参考にしていきます。
地域活性化は重要な政治テーマ
人口減少による過疎化が進む島国の五島では、まるで定食のように、「活性化」が議論のテーブルに顔を出します。
- 商店街を活性化するにはどうすれば?
- 地元の経済を活性化するにはどうすれば?
- 地域の繋がりを活性化するにはどうすれば?
いつも大体テーマはこんな感じです。
そうした中で、果たして本当に「活性化こそが目指すべきゴールなのか?」という部分に疑問を感じるので、今日はその辺りの事を書いてみます。
国・県・地方自治体と言うお金の流れを見ると、
- 一億総活躍社会
- 地方創生(一極集中の解消)
- 人生100年時代
という形で「国が起点」となる政策に誘導されがちです。そこで生じるのは、「現場とのズレ」です。
高齢世帯のニーズに合っている?
例えばリッチなシニア。
家賃収入も安定して、年金もキチンと受け取れているシニア世代にとっては、「活性化はする必要のないテーマ」になります。
逆の場合はどうでしょう。
所得の低いシニアはバリバリ働く事が出来ないので、地域が活性化しても職場が増える(=所得が増える)わけではありません。
このように、「活性化」と言うメニューは国の方からポーンと流れてきていますが、どうも地方のシニアのお口には合っていないように感じられます。
シニアにとっての重要なテーマ、つまり食べたい食事と言うのは、「寂しさ解消」だと感じます。多くの地域では
- 昔は集落の人口が今よりも多かった
- 昔は地域の繋がりが濃厚だった
- 昔は生活が賑やかだった
という部分が記憶として残っています。そのため、過疎化が進んだ現在の生活は、その「記憶」との乖離で評価されます。
過去の記憶 - 現在の生活 = 寂しさ
であるため、その差を如何に埋め合わせするかが、大事なメニューになってきます。
スマホ世代とシニア世代の違い
ここで決定的に、シニアと若年層(スマホ世代)を分けるのが、インターネットを通じた「逃げ道」をどれだけ持っているか?
になります。
スマホ経由であれば、世界中の人やコミュニティーへアクセスできます。
しかし、多くのシニアにとっては、その世界の扉は閉ざされています。そのため、唯一の逃げ場が「テレビ」になってしまい、双方向的なコミュニケーションの場が不在の状態となってしまいます。
現在でも、そうした課題の解消に向けて、地域の中で包括ケアシステムの構築に携わったり、民生委員やソーシャルワーカーとして活躍されている方も少なくありません。
ただ、政治システム全体としては、高齢者の抱える「寂しさ」に正面から向き合う体制は作られているのでしょうか?
例えば五島市の中には
- 市民生活部 長寿介護課 長寿支援班
- 市民生活部 長寿介護課 介護保険班
という班がありますが、その多くは「既存の社会保障制度・介護保険制度」から逆算して設計されている気がします。
それは単なる「窓口」であり、リクエストに応える事が仕事になるため、自発的に「寂しさの解消」に向けて動く機能はないと感じます。
まとめ
現在の政治的なテーマ(政策)は、国の掲げる「活性化」に大きく引きずられ、高齢者にとっては関心のないメニューになっているケースが少なくありません。
高齢者にとって大きなテーマは「昔の生活とのギャップで生まれる『寂しさ』をどう埋め合わせるか?」という部分です。
その受け皿が、地方自治の現場でも整備されるべきだと思います。
とはいえ、自治体が単独で事業を行うためには、財政的な部分は避けて通れません。
この部分は、資金の受け皿を国や県に頼るのではなく、他の手段(クラウドファンディング等)にも手を伸ばせるように、自治体側が変化していくべき分野です。