選挙に出馬します
ご存知の方も多いかと思いますが、私は2020年8月末の選挙に出馬します。
理由を尋ねられることが多いので、自分なりに説明をしてみます。
端的に言えば、
そこに選挙があるから。
が一番しっくりきます。(おそらく、登山家に聞いてもそんな答えが返ってくると思います)
私にとっては、「結果」はあまり大事じゃなくて、そもそもレースに出るという事自体が大切なんだと思っています。
レースに出場する
選挙は「出馬」と言われるように、一種のレースです。
私はマラソンが好きなので、マラソンで考えてみましょう。
あなたが「今までに走った事のない距離」のレース(10KM、21KM、42KMどれでも良いです)に出場するとします。
この時、目標のタイムも設定するかと思いますが、まずは「完走」をする事をゴールにしませんか?
私の場合は、フルマラソンは最初の2回、完走できずに終わりました。
実は、「タイムを目指す」よりも、「完走する」のって、すごく大変なんです。だってそもそも、未知の領域ですから。
私の場合は、
市長選挙に出る事
よりも、
ウルトラマラソン(100KM)に出る事
の方が、心理的なハードルが高い気がします。それがどれだけ辛い事なのか、吐き気がするほど良く分かるからです。
レースの出場料①お金
マラソンのレースにも、出場料金がかかります。マラソンについては、
なんでわざわざお金を払って、そんなに辛い事をするの?
とよく言われます。そうですね、、、それが生き方の一部だから、という感じでしょうか。言ってしまえば趣味ですので、理解できるかどうかはあまり大事ではない気がします。
選挙にも出場料(供託金)が掛かります。市長選挙の場合は100万円と高額ですが、有権投票者数の10分の1が得られれば、返ってきます。
これもマラソンと同じように聞かれます。
なんでわざわざお金を払って、そんなに無茶な事をするの?
そうですね、これは「趣味だから」ではちょっと説明が出来ない気がします。まあ、言うなれば
選挙もマラソンも、まだ自分が走った事のないレースだから
という感じでしょうか。
レースの出場料②人間関係
もちろん、政治家になるのは、他人に迷惑を一切かけないランナーを目指すのとは本質的に異なります。
言ってしまえば、この日本社会で最も身内に迷惑をかける職業なのかもしれません。
政治家として「公人」になる事は、家族も巻き添え、恋人も巻き添え、知人を含む人間関係も巻き添え・・・。
という、非常に厄介なレースとなります。
お金の部分以上に、この心理的なハードルが高いから、多くの人は出馬をしないのではないでしょうか?
政治を変える
私が政治家になったら、もっとこの部分でのハードルを下げたいです。例えば市民の会話の中でも、政治参加をネガティブに
(あの家の息子さん、この間市議選に落ちて、まあ可哀そうだったわね~ヒソヒソ。。。)
ではなく、もっとポジティブに捉え、
あなたの息子さん、この間市議選に落ちたんだってねー。いやー、応援しているから、また頑張んなよ!
という感じで、もっともっと若い人が気軽に政治のレースに参加してほしいです。
それは地元の方の意識も含めて、社会全体で変わっていく必要があると思います。何しろ全国的に、地方は「議員のなり手不足」が叫ばれています。
地方創生的な文脈で言うと、
「地域おこし」というソフト面でのアップデートは、全国の至る所で、ブームが一段落した感じがあります。
若い人が移住して、会社を立ち上げたり、新たな地域コミュニティを再生したり、数多くの成功事例が全国にあります。
次のステージは、「政治の意思決定」というOSレベルでのアップデート(Windowsが7から10になる感じ)が必要なのだと思います。
結果に期待しない
もちろん、選挙には「100%勝つつもり」でコミットして臨みます。ただ、
ベストを尽くす事
と、
最善の結果を期待する事
は、本質的には違うと思ってます。これは受験勉強を含む、何事についても同じですね。
皆様すみません!ありがとうございました!
っていう「晴れ晴れとした気分」で、皆様と結果を受け入れられるようになりたいです。
甲子園球児のようにね。
そもそも政治の投票は、受験勉強と異なり、自分で投票用紙に記述することが出来ません。
これは結構大事な違いでして、
- 受験:100%「自分の行為」で結果が決まる
- 選挙:100%「他人の行為」で結果が決まる
のです。そのため、
俺は間違いなく選挙に受かる!!
なんて結果を期待すること自体、大きな間違いであり、傲慢な姿勢なのかと思います。だって他人が
- 忙しい生活の中で、期間中に選挙に行くかどうか
- 閉鎖空間で、自分の名前を書いてくれるかどうか
なんて、本質的にどうしようも出来ない問題だからです。
選挙に行くのは時間の無駄?
何を隠そう、私自身も、出身地で選挙に行ったことがあるのは数えるくらいしかありません。
私は今まで、千葉県(船橋市)と神奈川県(横浜市、川崎市)に住んでいたことがありますが、
市長の名前や市議の名前なんて、1人も知りませんでした。
サラリーマンとして忙しく働いていたころの私にとって、「政治の世界」は、3光年くらい遠くの世界でした。
若い人の立場で考えれば、今や部屋の中のベッドで欲しい商品がぽちっと手に入る時代なのです。
そんな生活の中で、
- わざわざ投票所に足を運び
- わざわざ有権者を選択し
- わざわざ投票用紙の紙に鉛筆で名前を書く
という行為は、非常に「コストパフォーマンスの悪い」事でした。
それだけ面倒な事をしても、「良く分からない世界の一票」にしかならないのであれば、
「自分が良く知る世界で過ごすアイドルの総選挙」に参加した方が、よっぽど楽しい時間が過ごせます。
まとめ
選挙に出る事は、私にとって、ウルトラマラソンに出るようなモノなので、まずは「完走を目指して」無理せず走りきりたいと思っています。
それは「のんびりサボる」という訳ではなく、むしろ必要と考えられる「100%の活動」はします。
- アクセスの悪い集落にも可能な限り足を運び
- 地元の集まりがあればできる限り参加し
- 地元の方のお話には時間の許す限り耳を傾けます。
それくらいは、政治家としては「当然の努力」だと言われるかもしれません。
私は移住者でマイナスからのスタートなので、それ以上の事として、「従来の人がやらない手法」をバンバン取り入れています。
- ティッシュ広告や地元TVのCMを使ったビジネスの宣伝
- ブログやSNSを使った個人名の宣伝
ただ、私はだんだんとそれが、「呼吸をするくらいに自然に」出来るようになってきた気がします。だからこれを地道に繰り返すことは、とても楽しいです。
その一方で、結果(マラソンで言えばタイム)には期待をしていません。
結果に期待しなければ、全てが「ラッキーな出来事」だと思えるので、「何かに期待する」人生よりも、楽に楽しく過ごせる気がします。