スーパーシティ構想は何のため?
本日は、スーパーシティ構想が失敗する理由です。
そもそも、「スーパーシティ」構想の実現に向けた有識者懇談会 によると、
世界最先端の技術を実証するだけでなく、第四次産業革命後に、国民が住み たいと思う、より良い未来の社会、生活を包括的に先行実現するショーケー ス
だそうです。ただ、国のプロジェクトして、これを地方で推進していくとき、
「何のためにそれをやるの?」
「暮らしがどう良くなるの?」
という疑問が各地で聞こえるようになります。本日は、その点について、考えていきます。
国民が住みたいと思う?
スーパーシティで示されている世界は、非常に便利に見えます。
しかしその内実は、中国のように
買い物・移動・webサイトの閲覧履歴・行動
と言った個人情報がビッグデータとして処理され、AIに判断される世界です。まさしくビッグブラザーによる監視社会のようですね。
問題は、そういう社会に「日本人が住みたいと思うか?」という事です。
例えば現金が廃止され、スマホがないと社会サービスが一切享受できないような、「新しい不便さ」を実感する社会です。
高齢者が3人に1人となる日本社会で、これを実現するのは非常な労力が必要です。
更に言えば、多様性が求められる現代での「よりよい未来の社会」は、政府が案を示すのではなく、住民の意思に基づいて決めるべきです。
寛容性のないシティー
社会全体でそうした「新しい世界」に移行するのには、心理的な抵抗感が大きい人が多いので、実現段階で困難が伴うと考えられます。
例えば「必要な合意事項」として、以下の点が示されています。
・域内は自動走行車しか走れない。
・域内は現金を取り扱わない。
・自宅内のセンサーで健康データを医療機関等に提供する。
・自宅外壁に自動走行・防犯などのためのセンサーを設置する。
・取得されたデータの利用(例:購入履歴・健康データなどを域内関係事業 者で共有し必要なリコメンドなどを行う、防犯・エネルギー最適供給な どのためにセンサー情報を活用する)。
ちょっと見ただけでも、「大丈夫なの?」と思ってしまいます。
さらに会議の中では、この構想を実現するために、二つの選択肢が提示されています。(以下、抜粋)
一つ目がグリーンフィールド型、都市の一部の区域や工場の跡地などで全く新たに都市の開発を行って、新たな住民を集めていくというのが一つ目のタイプです。
二つ目がブラウンフィールド型、既存都市型と挙げております。既にあるまちで住民合意を形成していく。
こうした点を踏まえると、合意形成に強い抵抗感が示される「ブラウンフィールド型」は、実現のハードルが非常に高いと考えられます。
なぜなら「ブラウンフィールド」で実現する社会は、仕組みとして「人に優しくない」、寛容性の乏しい社会だからです。
逆にグリーンフィールド型では、こうした合意形成が必要とされない点で、中国共産党のように、「ガンガン行こうぜ」的に進めることが可能です。
ただ、その場合でもインフラ整備に要する費用と時間に対して、
「世界で見たときの価値」
があるかは、非常に疑問です。グリーンフィールドが完成する頃には、世界のシティーは5週くらい先を走っているのではないでしょうか。
現在のスーパーシティ構想の問題点は、社会サービスの利用が「1か0か」という点です。
今の日本社会を見渡せば、現金もあるし、キャッシュレスもあります。
中央の意思で「どちらか一方しか使えない」ではなく、「どちらも利用可能だが、スマートな方にインセンティブがある」という制度設計の方が、上手く行く気がします。
明治時代?の競争原理
そもそもの目的部分で、「世界最先端の技術」という部分が打ち出されています。
改革をするうえで、スピード感も大事ですが、日本はいい加減、
「海外に追いつけ追い越せ」
の発想から脱却する必要があります。
日本人のトップの中にある危機意識として「海外との競争に負ける」という部分があるかと思いますが、まずは国としてのビジョンが明確に示される必要があります。
再生可能エネルギーや技術分野の利用促進にしても、現場の実態を踏まえないまま、海外の事情に振り回されている感じが否めません。
まとめ
スーパーシティ構想は、一応「地方創生」という枠組みの中で、位置付けられています。
ところが発想としては、明治時代からの中央集権的な枠組みにとどまっています。具体的には、
- 「住民が住みたい街」を上から一方的に決めていること
- 「スーパーシティ」が社会としての寛容性を持たないこと
- 明確な目的がないまま、海外勢との競争だけを目指していること
といった問題があります。
選挙へのばら撒きという面では一定の効果があるかもしれませんが、「社会の良い方向への変革」に対しては、効果が薄いと考えられます。