食料は水や空気のように当たり前に

繊細な仕事

本日は朝から「弁当の盛り付け」の仕事をしました。弁当仕事の流れは

  1. 材料を仕込む
  2. 注文を受ける
  3. 材料を盛り付ける
  4. 梱包する
  5. 配送する

でして、私が担当したのは上記の「3」の単純作業です。

こういう仕事も既に多くの現場では、機械化されているのだろうなーと思いながら、仕事の意味について考えてみました。

ボケ防止としての仕事

仕事がないと、家でダラダラと過ごしてしまう。

コレが多くの日本人に共通している傾向かと思います。

仕事は単に、生きていくための生活費を稼ぐ場ではなく、

  • 人と人がコミュニケーションをとる場
  • ボケ防止のための作業をする場

としての機能を持っています。

そういった観点からは、どんなに単純な仕事であったとしても、全てを自動化して、資本家だけがお金を得ればよい、という話にはならなそうです。

将来の食糧供給は?

それでも、自動化・AI化の流れが浸透するにつれて、私たちの「生産能力」は今後も向上していきます。

スマホやAmazonが私たちの生活を変えていったのと同じように、避けられない変化として「単純作業」は減っていきます。

コンビニで安くお弁当が手に入ることからも分かるとおり、食料自体が100円ショップで手に入るような感覚です。

暖かい弁当をタイムリーに提供する場所として、「食品の自動販売機」も今後は増えてくるでしょう。

昔は私たち、水を汲むために何時間も歩いて出かけていました。ところが今は、水は蛇口を捻れば出てきます。

食料も水のように、空気や電気と同じで当たり前に提供される時代がもうすぐ来る予感です。

そうなったとき、食事は生活のためではなく、娯楽としての側面が強くなるでしょう。観光地でよく取組みをされているように、屋外で食べたりディナーショーを見たりしながら。

それだけでなく、食事は他のエンターテイメントと組み合わさることにより、生活の水準から高い敷居の楽しみへと移行していくでしょう。