(当時の日記に書いていた内容を出来る限り原文のまま掲載してます)
深刻なプロジェクトの「無理ゲー」状況
忘年会じみた飲み会から帰ってシャワーを浴びて即効寝たのだが、酒の影響があったにも関わらず、いよいよ事態は深刻になってきている。
明け方4時くらいから目が覚めてしまい、自動的に頭の中で仕事のタスクやら何やらが想起され、如何にして現状の問題が解決不可能であるか、また、構造的に解決の難しい問題なのか、ということを整理してみる。
休日さえも仕事のことが頭から離れないということに関しては、GMが抱いている現在の状況に関する認識と、実体として起こっている自体に差分があると言わざるを得ない。
その原因は、タスクの作業量を可視化できていないということである。見積もり、対応の基となるタスクに関しては、日々自動的に増えていくのだが、報告、認識合わせの時点で見ていたものと、いざ作業を始める前になって並べてみたモノでは、大きな乖離がある。
実体を正確に表すならば、タイムリーに増え続けているタスクを管理しきれていない。
ということである。そこにトドメを指したのが、12月××日の衝撃的な事件だったので、「パンドラの箱の中身」+見えていない部分のタスクで飽和し、無理ゲーであると判断した次第である。
ぐるぐる巡るイメージ
ひとまず優先順位を高くしているBIG_ISSUEでさえ、完了のめどが怪しいのに、更に見えていない部分の領域が広がって、収拾がつかなくなっている、というのが実態である。
作業担当者の認識としては、追加タスクと引き継ぎタスクがある事自体は分かっているのだが、その規模の見積もり、管理さえ行っていないから、いざ始めるとなると、更に無理ゲー要素が増えるという状況である。
そして計画書自体に関しては、手戻り要素もあるため、見えない領域が更に広がっているという認識である。
状況を整理するとわかりやすいが、作業担当者の実感としては、フル稼働している中で
「あれもやんなきゃいけなかった。実はこれもやんなきゃいけなかった」
という状態になり、不安と焦りだけがどんどん蓄積していくという状況なのである。
エンドレスリピート
そのイメージが、繰り返し繰り返し頭の中でリピートされて、どういう状況になっているのかのイメージが再現される。
総合テストの開始を巡るお互いの危機意識に関しては、そうした不明確な要素を意識しているかしていないかの違いによるものである。
そして現状に関しては、見えない部分の対応工数が多すぎるため、不安でしかない。
「不安=見えないこと」
であるという心理の真理が、自分の認識として目まぐるしく再現されている。私はひるまず、まず上記の認識を上司に伝えるべきであると感じた。
堰が切れたように
朝の6時頃、何かの拍子で急に堰が切れたように、伝えるべきことはきちんと伝えるべきであるという強い衝動を感じた。
そしてふとした瞬間に、何かの糸が吹っ切れて、世界を取り巻く壁が崩壊した。それは奇跡とした言いようのないくらいに不思議な感覚で、自分の見ている世界が一気に溶解したような感覚であった。
例えるならば、仏陀が菩提樹の木の下で悟りを開いたかのようなインスピレーション。新しい可能性の粒子たちが、脳の中で無尽蔵に放出されるような感覚だ。
奇妙でハイな行動
ただとにかく無性にうれしくなって走り回りたい気持ちになった。
朝日を眺め、音楽を聴いて号泣する。
日の光がとても感動的な希望の光のように見えた。
そして感傷的な気持ちが極限に達し、楽天的な気持ちのまま部屋の中で踊りだした。
なぜそれほど迄にハイな気持ちになったのか、それは抑圧から一気に解放されて、今までのしがらみが全て一時に放出されたからであろう。
糸が吹っ切れたというか、とにかく世界が急に色彩を変えたというのが素直な感覚である。
そして変化が訪れた以上、私は自分の生活を根底から塗り替える必要があると強く感じた。
まず何をしなければならないか、髪を切る。服を捨てる。服を買う。新しい音楽を手に入れる。
そう決断して早速行動を開始した。
(続く)
https://nakanishidaisuke.com/2017/09/28/hakkeijima/