前回は三文の得について紹介した。
今回は、ランニングを支えるものについて言及したい。私は小さい頃から運動が得意な方ではあったのだが、忘れられない出来事がある。
中学生の頃のマラソン大会
当然私は誰よりも早く学年で一位を取れると思っていたのだが、その大会は全学年合同で実施されるものであった。そして私は、一つ上の先輩で、同じサッカー部だった人に30秒程度負けていた。
私にはその当時の経験が非常に悔しく、今でも忘れられない雪辱となっている。
来年は絶対勝ってやる
その日を境に走りに関しては彼に負けないよう、トレーニングを開始した。
しかしどういうわけか、次の年からマラソン大会という行事そのものが廃止となってしまった。そのため、私は雪辱を晴らす事が出来なくなってしまったのである。
その先輩にはサッカーでもライバル意識を燃やしていたために、私は何とも言えないやり場のない思いを味わった。どうにかして返さなければいけない”借り”が、永久に返せないままとなってしまったのである。
返済できない悔しさ
マラソン大会という機会はなくなってしまったが、今でもその悔しさは、私を走らす原動力となっている。永遠に成就する事が出来ない未消化な思いを抱え、走り続ける。
ふと走り続ける意思が挫けそうになった時、その悔しさを思い出してもう一踏ん張りの根気を絞り出す。もうとっくに昔の話なのに、なぜか疲れてくると、無性にその時の悔しさを呟いてしまっている自分がいる。
くそ。あーっ
とか言いながら、もう一踏ん張り。とりわけ長い距離を走ると、気持ちが切れて足が止まってしまいそうになることがある。そんな時誰しも、心の支えとなるような、励ましの言葉が必要となるのである。
例えばZARDの「負けないで」が頭の中に流れてきた時や、沿道の人の「頑張れ」という言葉を聞いた時は、それだけで疲れが吹き飛んだりする。
心の支えとして
ここ一番で心が折れそうな時は、そういう言葉が何よりも力になる。
それでも何よりも私の支えとなっているのは、そうした言葉を超えた「悔しさ」である。そこで立ち止まって試合終了としてしまう自分に対して、悔しさを感じる。
あるいはなぜか、ランニングとは関係のない、人生上の悔しかったことや、恥ずかしかったことを思い出し、「くそっ」とつぶやく。その思いに応える形で足を動かす。
その思いは、ランニングだけに留まらないと思う。ここ一番の、吹き飛ばされるくらいに心が揺らいでいる時に、
何が心の支えとなるのか
を見定めることが大事である。