管理思想と諦める思想

  • 2021年6月5日
  • 2021年6月4日
  • 雑談

管理社会

本日は、私が日々感じる社会やの仕組みについての、違和感を書きたいと思います。

「管理社会」と言われても、あまりピンとこない方もいるかもしれません。

見方を変えて、、、

今の社会をどこか息苦しいと感じたことはないでしょうか?

私は大いにありますし、段々とそれが加速しているようにも感じます。

会社では数値目標やノルマが設定され、行政の分野でも同じように、

民間のような成果目標の発想が取り入れられています。

中国では監視カメラが至る所に張り巡らされ、人々の言動は共産党の支配下にあると言えます。

同じように、ソサエティー5.0を推進しようとする日本も、

デジタル化や人工知能の活用を通じて「管理できる範囲」が増え、

農業は医療など、人間が意のままに操れる領域が広がると考えられます。

しかし思うのですが、この管理社会の根底にある思想こそが、

現在の様々な問題を引き起こしている根本的なガンではないでしょうか?

 

そもそも、管理社会の背景にある思想とは何でしょうか?

それは、「自分以外のモノ」に対する向き合い方です。

管理社会を推進する根底にある思想は

「コントロールできる範囲を最大化したい」

という欲望であり、

「予想外の出来事は、最小化したい」

という恐怖です。

この欲望/恐怖を実現させる手段として、科学技術は有効に活用され、

人間が支配できる範囲は飛躍的に向上してきました。

が、その代償として森林や海洋が汚染され、

生態系全体が修復不可能なレベルでダメージを負っています。

近年相次ぐ大規模な自然災害は、そうした自然のリズムが乱されたことの反動だと言えるでしょう。

そして今になって、SDGsが盛んに叫ばれ、「持続可能性」が叫ばれていますが、

管理社会の根底にある思想を変えない限りは、問題は解決しないのではないでしょうか。

ミスチルの曲で「掌」という曲がありますが、

現代の社会で取り組まれている事は、

問題を解決しようと試み、かえってその問題を複雑にしている

ように見えます。

歌詞はこちら。

https://www.uta-net.com/song/18169/

例えば日本は、化石燃料からの転換を目指して「再エネの普及」を進めようとしていますが、

大規模な太陽光発電を普及させる事は、森林を切り開いて道路を敷設するケースも多いため、

かえって自然破壊を助長している側面もあります。

気候変動対策も突き詰めて言えば、

「自然環境の変化を、人間に悪影響を及ぼさない範囲に抑えたい」

という思想に基づいています。

こういう話をすると、

何もかも諦めて、何もしないという事ですか??

と捉えられがちですが、半分は受け入れる必要があるのではないかと思います。

何でもかんでもコントロールしようとする思想は、終わりがないしキリがありません。

どこかで「どうしようもない事がある」と受け入れて、

諦めるという発想も導入する必要があるかもしれません。

「日本を〇〇する。」

という政治的なフレーズも、

前提として日本が完全に政治家のコントロールできる状態を想定しています。

しかし当然のことながら、日本を動かしているのは政治家だけではありません。

こうした思想の転換も、政治的に導入していけないか、

実践を通じて試してみたいと思います。