最近は6月議会の一般質問も考えながら、「平和」について考えています。
その理由は、「民主主義の限界」みたいなモノを薄々感じているからです。
アメリカと中国が対立の度合いを強める中で、台湾や香港と言った周辺国の緊張も高まっています。
それだけでなく、中東の国々も紛争が絶えない状況です。
そんな国同士の争いはお構いなしに、気候変動はドンドン悪い方向に向かっています。
「もはや争っている場合ではない」
と感じますが、従来の政治の枠組みでは、それもまた難しそうです。
そこで、従来の民主主義・専制主義という枠組みを超えた協力・連帯が必要と感じます。
何がその手段になるでしょうか?
言葉や人種を超えるという意味では、音楽やアートに可能性があるのかもしれません。
争いを抑止する意味では、教育の果たす役割が大きいかもしれません。
平和の実現のためには、根底となる哲学の深堀も必要そうです。
まさに総合学習で、それぞれが知得意分野の恵を出し合って、結集する必要がありそうです。
最近は、そういう「場づくり」をしたいなと考えています。
ただ、何も声高に「世界平和」だなんて大袈裟な旗を掲げなくても良いのかもしれません。
長崎で「平和」と言うと、どうしても「原爆」や「核廃絶」のテーマを避けて通れず、
それはとても大事な議題ではありますが、
かえって全体的な視野を狭めてしまう可能性もあります。
そうなると、いわゆる「意識の高い人」しか集まらず、
一部の人のみの活動に終わってしまう恐れがあります。
多様な人が行ったり来たりして、相互理解を深める「対話」が出来る場づくり。
この同時多発的な発生こそが、平和を維持する大切な下地ではないかと思います。
特にコロナの状況で、人や社会・富の分断が益々加速しています。
まだ明確な答えはありませんが、試行錯誤でそういう「場づくり」を模索して走っていきます。