分析するより意味を考えよう

  • 2020年3月24日
  • 2020年3月24日
  • 心理学

おはようございます。

高校の頃は「ワンシーズン ワンパーソン」の異名で知られていた中西です。

さて本日も、人生訓みたいな話です。

最近巷では、大きなニュースが繰り返し報道されて、

  • 東京オリンピックの経済損失は?
  • 世界経済への影響は?
  • 感染者数の推移は?

など、様々な情報が錯綜しています。

病原菌や経済に対する「分析」は世の中に沢山出回っていますが、果たしてこの出来事に対する「意味」とは何でしょうか?

まずは「分析」という行為がもたらす効能について考えてみます。

分析の効能

分析。

それは一つの物事を分解し、「責任の所在」を明らかにしようという取り組みです。

例えば今回の病原菌、中国が発生源だと分かれば、そこからの輸入を封鎖するのが正しい正解となります。

同じ発想で「経済的に失敗した国」を分析した時、特定の省庁や役人が、おそらく「犯人」として炙り出されるはずです。

太平洋戦争時の「A級戦犯」のようなイメージです。

今回の騒動を巡っても、おそらく誰かが事後的に、同じような烙印を押されるのでしょう。

 

より身近な例としては、会社組織です。

例えば「会社がうまく行かない原因」を考えた時、おそらく誰もの頭に「誰かの顔」が浮かんでいるのだと思います。

それはトップ経営者かもしれないし、身近な上司かもしれません。

会社経営に対する責任

という言葉がよく聴かれるようになりましたが、もちろん上場企業の業績が下がれば、経営者の首が飛びます。

これが政治家だったら、自身が当選しなかった理由を考えて、「市民のレベルが低かった」などと分析するのかもしれません。

逆に有権者は、「あの政治家がダメだ」と言うかもしれません。

政治・経済・そして対人関係。

全てに共通して言えるのは、

「分析」のゴールは「自分以外の人」に帰属する

という点です。

分析の結果、明らかになった「原因(らしきもの)」を排除する事により、物事は正しい方向に向かうという発想です。

しかし本当に、物事はそんなに簡単でしょうか?

短期的にはこれは有効だと思いますが、長期的にみれば、また同じ発想で「犯人探し」が始まります。

ここ最近の社会の空気感では、この「分析」に対する熱意が非常に高まっているように感じます。

誰もが疑心暗鬼な心理から保身に走り、誤ったレッテルで人を傷つけ、そして対立が生まれる。

そういう方向性に向かっているように感じます。

「意味」を考えよう

そんな時代だからこそ、分析とは反対の発想が求められていると感じます。

それは、「意味を考える事」です。

株価の下落や経済の停滞、そして雇用不安。

一人一人が「自身の前」に生じている出来事の「意味」に正面から向き合えば、

  • 自分の足元を疎かにしたまま
  • 外側ばかりに注意を向けて
  • 突っ走っていた部分がある

事は否定できないと思います。

今回、経済的に一番手痛いダメージを被ってしまったのは、

「インバウンド誘致に前のめりになってしまった事業者」

だと思います。設備投資はしたけど、全く集客の見通しが立たない状態では、負債だけが残る形になってしまいます。

では、どうしてそんな判断をしてしまったのか?

その答えは、個人個人に帰属するため、答えは千差万別です。

まとめ

「分析をする」と「意味を考える」は、ある意味で真逆のアプローチです。

分析をする:「分かりやすい」原因が、「自分の外側」で早期に発見できるため、「短期的な問題解決」には役立つ

意味を考える:「分かりにくい」原因を、「自分の内側」に見つける事ができるため、「長期的な人生の改善」に繋がる

という違いがあります。

個人的には、社会全体の不安が高まる中で、個人の心のベクトルが

分析 > 意味

になっている感じがします。しかしこういう時こそ、逆に

分析 < 意味

になった方が、長期的な世界の安定に繋がると感じます。

 

 

目に映る全てのモノはメッセージ

だと捉えれば、自然と世界に対する見方も変わってくるはずです。