政治と経済
私は政治を考えるうえで、「経済の仕組み」を理解することが、非常に大切だと考えています。
「経済の仕組み」とは、言い換えると「水の流れ」であると言えます。
水が適切に流れていないと、国民や市民が喉の渇きを訴えるだけでなく、治安の悪化や犯罪率の増加と言った、安全保障上のリスクも高まります。
経済は言うまでもなく、国民の死活問題です。
しかしながら、歴代の政治家とその判断を振り返ったとき、あまりにも多くの為政者が、
- 判断時点での経済の仕組みを理解していない事が原因で
- 明らかに誤った経済政策を実行してしまい
- 国民や社会を不安定化させてきた
と思います。もちろん、何が正解かは、後になってみないと分からない事が殆どです。
しかし私は、政治を考える上で、
「明らかに誤った政策を実行するリスクを防ぐ」
ために、経済の仕組みを知ることが非常に大事だと考えています。本日はその題材として、経済評論家である「三橋貴明」氏の唱える経済理論を考えてみます。
GDPの3面等価という理論
経済の代表的な指標としてGDPが挙げられますが、まずは彼が唱える「GDP三面等価の原則」についてご紹介します。以下、「「新」経世済民新聞」からの引用です。
https://38news.jp/economy/11633
我々は「生産者」として働き、モノやサービスを「生産」し、誰かがモノやサービスに対し「支出」をすることで「所得」が創出されます。
所得創出のプロセスにおいて、生産、支出、所得の三つは必ずイコールになります。
そして、所得創出プロセスの「生産」の合計こそが
GDP(国内総生産)です。というわけで、GDPには「生産面」「支出面」「所得面」の三つがあり、三つの面のGDPは総額が必ず一致します。
これを、GDP三面等価の原則と呼びます。
もっともらしい論理ですが、経済ってこんなに単純な仕組みなのでしょうか?
例えば反論として、マーケティングを無視して生産した「モノ」が消費されない場合は、支出も所得も発生しないため、この法則は成り立ちません。
それに、マーケティングを基に立派なリンゴを生産したけど、天候不順で運べなかったり、他の事業者がもっと安い値段で販売していたら、生産コストより小さな「所得」しか得られないため、等価の原則は成り立ちません。
更に致命的なことに、この式では「国内で完結する経済」の事しか考えていません。海外との貿易や為替の影響などを全く無視しています。
などなど、例外を考えだしたら、枚挙に暇がありません。
このため、この単純な数式は、現実世界で発生しえず、実験的に仕切られた一部のモデル的な経済でしか、成り立たない原則です。
そもそも、経済活動は国内だけで完結すものではありませんので、GDPという概念自体、意味がありません。
自分の頭で考えよう
経済評論家は、自分が立てた論理や、古典的な常識を大事にしがちで、「分かりやすい論理」を組み立てがちです。
しかしそういった論理は、
- AmazonやFB、メルカリが生まれていない頃の論理
- 政治的なリスク・安全保障上のリスクを考慮していない論理
であることが殆どです。今のように、金融面でも政治面でも、バラバラに経済が動いている時代にあっては、
「金融政策→デフレの解消」
みたいな単純な論理は成り立たないことが殆どです。
今の政治家の問題は、もっともらしい経済評論家や、官僚の言うなりになって、
「はい、そうですか。」
とあまり疑いもせずに政策を決定してしまう事だと思います。そのため、これからの政治家は
- 色々な人のいう理論やモデルを相対的に並べてみて
- 実体にそぐわない理論は指摘・検証し
- 最も実体に見合った政策を実行する
という訓練を、常日頃からしておく必要があると感じます。