五島市市議会
インターネットで傍聴しています。
最近気づいたんですけど、五島市の議会って、自民党の候補の方が大多数なんですよね。(H29年の市議会議員選挙の結果↓)
当選人数 | |
自由民主党公認 | 8 |
日本共産党公認 | 2 |
民進党公認 | 1 |
公明党公認 | 1 |
無所属 | 8 |
合計 | 20 |
そうした点を踏まえると、自民党会派の人たちから「批判的な質問」が少ないのも無理ないのかなあと思います。
むしろ、市政の目が行き届いていない行政に焦点を当てて、
Q. 〇〇の実績はどうなっていますか?(議員)
A. 〇〇の実績は××です。(行政)
という形で、行政の実績報告を手伝う広告塔になっているような気もします。
自民党の公認が市長だと、どうも緊張感が足りないと感じるのはその辺りです。
スポーツは夢をくれる
五島市では、島内への誘客で一番力を注いでいるのが「修学旅行」です。
その次が、「スポーツを通じた交流人口」でして、積極的に推進し、現在は体育館の隣にある施設の工事が行わています。
スポーツ関連の質疑の中で印象的だったのは、市長が
スポーツは夢を与えてくれる
と言っていたことです。確かに、それは事実ですが、どうしてスポーツだけが、そういうキラキラした夢を与えられるのでしょうか?
本日は、その辺りを考えてみます。
平等なルールと勝敗
スポーツが成立する条件として、
- ルールが明確
- 不当な差別がない
- 勝敗が明確
が挙げられます。年齢も性別も人種も関係なく、同じ土俵で戦うのがスポーツの世界です。
超実力主義の中で勝ち残った人が表彰される理由は、
- 有利な条件を与えられているわけでもなく
- 実力オンリーで成果を出している
からでしょう。ドーピングとかが問題視されるのは、そうした点からです。
必然的にスポーツの世界では、能力値の高い、若い選手が活躍する機会が増えて、注目も集めます。
政治の世界は?
そういう意味で、スポーツと対極にあるのが、政治の世界ではないでしょうか。
「地盤・看板・鞄」
と言われるように、血縁や評判、資金力と言った「実力以外」の部分でその人の政治力が決定するからです。
若者だけでなく、政治に熱心な関心を寄せる人が少ないのは、
スポーツのようなドラマ
が生まれないからです。
- 代り映えもしない人たちが
- 朝から熱心に議論をする様子は
- 見ていても面白くなく、夢もない
そんな領域が政治というジャンルです。
実際、議員の年齢を見ればわかる通り、五島市の議員の平均年齢は59.7歳です。
平均年齢が60歳近い人達が出場するスポーツ大会があったとして、興味が湧くでしょうか?
同様に、そういう隠居前の人たちが掲げる「夢」に、若い人や中高年が共感するでしょうか?
政治に新陳代謝を
本日は、スポーツと政治を比較してみました。
考えてみると、スポーツのような明確な勝敗というのは、政治にとっては不要なのかもしれません。
しかしながら、視聴者が見る気の湧かない(=夢がない)政治というのは、どうなのでしょうか?
そうした意味で、政治が変わるべきなのは、
- 新陳代謝を促進するルールを作ったり(議員の任期制限)
- 若い人が参加しやすい環境を整備したり(拠出金の緩和や報酬の増額)
することです。
政治がいつまでも、「高齢者の世界」ではなく、「若い人が引っ張る領域」になれば、社会はもっと面白くなると思います。