小説書いてみた-3-「迫害と私」

  • 2018年5月24日
  • 2020年3月8日
  • 雑談

迫害と私

私たちは、迫害の厳しい本土から逃れ、命からがら海を渡ってここまで訪れて、辺鄙な場所にひっそりと暮らしていました。

心の奥底では、長年にわたる彼らとの対立を解消し、融和的に暮らすことを願っていました。

しかしながら、ここでの迫害は、本土以上に過酷なものでした。

元々住んでいた人に見つかると、彼らは石を投げつけてきたり、棍棒を持って追い掛け回したりしてきます。

そこに話し合いの余地はなく、私たちは一方的に、有無を言わさず追いやられる運命だったのです。

それはもう、生きた心地がしませんでしたね。

どうしてこんな差別を受けなければならいのか?

彼らは私たちを、「危険な存在」と考えているからです。

彼らは私たちを、この地球上から根絶やしにしようと考えています。

日中は特に、捜索の魔の手があちらこちらに伸びていますので、私たちは出来るだけ見つかる可能性の低い、夜間に行動をすることにしました。

わずかな土地を耕しながら、私たちは少しずつ、生活圏を広げていきました。

私たちは、親の世代から聞いている、残忍な迫害者の怖さを一時も忘れたことはありません。そのため村の掟には、

「人目に付く様な場所には行くべからず」

という戒律がありました。

迫害者に見つかったら最後です。

あるモノは惨殺され土に埋められ、あるモノは見せしめに首を切られ、あるモノは四肢をバラバラに切断されて見つかりました。

ただ森の中で慎ましい生活を送っている私たちが、どうしてコレほどまでに、残酷な仕打ちを受けなければいけないのでしょう。

生きた心地のしない生活を送っていたある日、私たちが隠れている森全体に、紫色の煙が立ち込めました。残忍な迫害者が、新たな手法を開発したのでしょう。

私たちは全身がかゆくなり、居ても立っても居られません。

暗い闇の中では活動が続けられなくなり、日中に日差しを浴びなければ、気が休まりません。そう、彼らの好きな日中です。

私たちは、迫害者が仕掛けた神経毒により、日差しをさえぎる森の中には暮らせなくなり、日差しのあたる場所で一網打尽にされてしまったのです。

彼らは出来る限り効率的に、人手をかけずに私たちを抹殺する方法を思いついたのです。

私たちは祈ります。

どうか 私たちの子孫が

迫害の苦しみから 解き放たれますように。

どうか 私たちの子孫が

「猪突猛進」の偏見から 解放されますように。