本日はお金のお話です。
多くの人が気になることですが、サラリーマンを辞めて単身島に移住して1年経ちましたので、お金について今思っていることを紹介します。
日本人のお金道徳
私たちは小さい頃から、
貯金をしましょう
という洗脳教育を受けてきました。それは何のために?
って考え出すと長いのですが、一言で言えば
国民が貯金した方が国にとって都合が良いから
と言うことです。
戦時中の洗脳教育にも近い水準で、貯金と節約は日本人のマインドに刻まれています。
私が社会人になったときも、長期的には「○年目には○○○万円」とかいう計画を立ていたので、必然的に「月に○万円くらいは貯金しないとなー」って考えていました。
島生活で変わったお金の感覚
脱サラして島で事業を始め、収入は圧倒的に減りました。にも関わらず、お金に対する感覚は180度変わりました。
- 社会人の頃:いかにお金を貯めるか?
- 脱サラの後:いかにお金を使うか?
っていう感じになりました。具体的に言うと、私は飲みに行くのが好きですが、島でお金を使うと良いことが沢山あります。
- 楽しい
- 人脈が増える
- 島の経済が潤う
特に都会では、「2」と「3」の部分が少ないですが、島ではこの比重が高いです。
SUPのような客商売をしていると、飲みの席で知り合ったお客さんが、明日のお客さんになったりすることもあります。
「自分がお酒を楽しみながら営業が出来る」っていうのは、島ならではの楽しみです。
そして考えてみれば、お金があるのに使わないって言うのは、島の経済にとってのマイナスです。
だから私は、多くの「貯金しなきゃ」と思っている人に、声を大にして言いたい。
貯めるな!使え!
と。これは
情けは人のためならず
にも近い発想ですが、お金を使えば経済は活性化し、結局は自分の取り分が増える可能性が高まります。逆に言うと、お金を貯金することは、経済の停滞に一役買っているということです。
飲食店でも観光でも、皆が財布の紐を固くするから、結局お店が儲からなくなるのです。
将来に対する不安感
それでもお金を使わずに、多くの人が貯金したがるのはなぜでしょうか?その答えは単純で、
将来が不安だから
に尽きます。
- 仕事がなくなったとき
- 事故や怪我をしたとき
- 高齢になり年金が少ないとき
などなど。確かに私も、サラリーマンだった頃は、何ともいえない将来に対する不安感・焦燥感がありました。それは終身雇用でなくなり、成果主義的な風潮が高まっていることも関係しているのでしょう。
大企業に就職できたとしても、安泰ではありません。
皮肉なことですが、大きな会社に勤めて多くの稼ぎがある人に限って、収入に対する貯金割合が高いような気がします。
実際、私は(同年代の人よりは)お金を貯めてました。
現在はそれを食いつぶして生活をしているのですが、将来に対する不安はなくなりました。先程と同じように対比すると、
- 社会人の頃:「何かしなきゃ」という漠然とした不安
- 脱サラの後:「いろいろ試したい」という期待と楽観
な感じです。本当に沢山面白そうなことがあるので、人生が3週分くらいあればいいのにな、って思ったりします。
例えば今、ローンを組むのは銀行から断られますが、1億円の負債を背負ったとしても、余裕で返済が出来そうな気がします。
根拠はないんですけど、とにかくまあ、「何とかなるっしょ」っていう楽観的な気持ちです。そうすると、必然的にお金は
貯めるよりも使いたい、マジで。
って感じになります(昔こんなテンポの唄がありましたね)。貯めるっていうのは、ある意味で受け身な行為ですが、使うのは主体的な行為です。
田舎はキャッシュ主義
これだけ情報化が進んでいる世の中ですが、五島のような田舎は圧倒的にキャッシュが幅を利かせています。
特に五島は職場でもそれが著しく、お金を頂くのも振込みではなく手渡しの場合があります。
でも、働いた対価として目に見える現金を頂くのは、知らぬ間に銀行口座に振り込まれているよりも嬉しかったりします。
経営者目線で言えば現金主義は煩わしいですが、労働者目線で言えば現金主義は嬉しいという矛盾。
でも口座情報に比べると、ずっと「お金との距離」が近くなった気がするします。
例えば英会話講師をして現金収入を頂いて、そのお金をそのままバーで使ったりすると、ちゃんと自分自身が
島社会で呼吸して生きているんだなあ~
という実感が沸きます。
お金は社会と私たちを繋ぐ、いわば血液です。
実感のある収入と、実感のある支出を繰り返していれば、何だかそれだけで幸せな気分になったります。