高校生
高校生のとき、学校が募集している「短期留学制度」に応募しました。その高校に行きたいと思う理由の一つが、このオーストラリア短期滞在だったからです。
中学生の頃に知り合ったALTの先生とフランクにしゃべる経験を通じて、「外国の人と話すのって楽しい」という感じがしていました。
それはもう10年以上前の出来事ですが、当時は留学前にとてもワクワクしていたのを覚えています。
それから10年以上が経ち、先日は国境離島の島々の人達と、中国・韓国の高校生と一緒にゴミ問題についての交流事業に参加しました。
しかし何だか日本の高校生の表情を見ていると、あまり元気がないなあと感じます。
海外の生徒と触れ合えることには、わくわく感はないのでしょうか。
交流会に参加する高校生の意識は?
どうもまだ、高校生は自分の人生や時間に対して責任を負う立場ではないから、「やりたくもない授業」に付き合わされているように感じがします。
実際に、1人の生徒に「どうして参加したの?」と聞いてみると、
「進学面接の時に、役に立つから」
というようなことを言ってました。学生時代のボランティアが、進学時に有利に働く材料になるからだろうという打算からでしょう。
その気持ちも分からないでもないですが、それはもうボランティアではありません。ボランティアを加点項目にすることも含めて、本末転倒ですね。
高校生のスピーチ
韓国・中国の学生を見ていると、少なからず英語を使って発表をしようとする姿勢が見られ、内容も客観的なデータに基づいています。
例えば
- 「年間でどれだけのゴミが排出されるのか?」
- 「その背景としてどういった社会問題があるか?」
ということから始まり、具体的な事故の被害や状況を発表しています。高校生とは言えど、見ている世界の視野が広い。そんな印象でした。
一方で、日本人の高校生の発表を見ていると、まず英語で伝えようという感じは一切なし。そして発表の内容は
- 「地元であれしました」
- 「ボランティアでこれしました」
的な事ばっかりで、「SNSで発表すれば良くない?」と突っ込みを入れたくなるような発表です。どうも自分たちと関わっている狭い世界の事ばかりで、内向きだなあと感じます。
熱の低いイベント
日本で開催されるイベントを見ていると、参加者の熱が薄いことが特徴です。
特に行政が主体となって催される企画ほど、その感じが強いです。参加する高校生も、なんで教科書的なことしか言わないのでしょうか?
先生の意図に反することを言うと、点数を下げられてしまうからでしょうか?
行政の対応も「やらされている感」の強い帳面消しな感じですが、学生の側にもそういう匂いを感じました。
英語でスピーチをしている韓国や中国の学生と比べると、日本の学生の話は小学生レベルで稚拙さが際立ちます。
日本の学生の特徴
発表だけではなく、プレゼンした内容そのものについて質問をしても、日本の高校生は首をかしげるばかり。一方で、中国の学生は、内容はともかくとして必死にこちらに内容を伝えようとしてきます。
これから数年が経ち、両方の学生が同じビジネスのフィールドで勝負する事になったら、勝敗は火を見るよりも明らかでしょう。
日本の高校生を見ていて総じて言えるのは、「皆一様に元気がない」ということです。
まるで去勢されてる牡牛のように、みなしゅんと下を向いてしまっています。
学生が社会の元気を示す鏡であるならば、それはとりもなおさず社会全体が「元気と活力」を失っていると言えるのではないでしょうか。
これって離島だけですかね?