【離島考】鉄砲の伝来に学ぶ技術と世界の変化

種子島の文化資料館を回ってきた

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今回は駆け足で種子島の歴史資料館を回った感想について、述べたいと思います。

最初は何それ?状態だった鉄砲

鉄砲の伝来は1543年とされていますが、最初のうちは戦でそれを使用するなんていうことは、殆ど考えられていなかったようです。

江戸幕府でさえ、鉄砲を禁止するようなお触れをだしていたみたいですからね。

ヨーロッパの戦争とは違い、日本の場合は山間部が多いと言う地理的な特性もあります。

だから最初は、それを戦に使うなんていうことは全く考えられていない状態でした。

今で言えば、インターネット全盛の時代に

「情報源は全て書籍で十分だよね?」

と言っているような感じですね。

鉄砲の伝来から30年を経て

結果だけれみれば、鉄砲はそれまでの常識を覆し、新たな戦の方法として普及していきました。

しかし鉄砲の伝来から私たちが学ぶべきことの一つは、

「新しい技術の普及には意外と時間がかかる」

と言うことなのかもしれません。

何しろ、鉄砲の軍事的な価値に一早く目をつけた織田信長が量産体制を確立し、本格的な戦で使われるようになったのは何と1575年。

最初の伝来から実に30年以上も経った後です。

現代の感覚で言えば、新しい技術が発明されて、実用化されるまでに30年もかかっていは、圧倒的に取り残されてしまいますよね?

しかし革命的な出来事と言うのは、得てしてそのインパクトが業界の常識を覆すのに、時間がかかるものかもしません。

コペルニクス的な価値観の転回を行うには、抵抗勢力も含めた変更の時間が必要だからです。

好むと好まざるとに関わらず

もう少し視野を広げてみましょう。

日本における鉄砲の伝来と普及の事例にとどまらず、世界史の普遍的な事実として確かなのは、

「好むと好まざるとに関わらず、技術が世界を変えていく」

ということなのでしょう。

アインシュタインの発明が意図せず大殺戮の引き金を引いてしまったように、新しい技術と発明はよくも悪くも世界を変えていきます。

離島は世界の先頭になれる

結局のところ、

「世界は技術革新をトリガーに変化していく」

ものです。

今までも、そしてこれからも。

その厳然たる事実の中で着目すべき点は、

「変化の先頭」をリードしている組織(or 国)が、「勝ち組」になる

ということです。

鉄砲の例で言えば、いち早く新しい技術に飛びつき、実践的な活用方法に向けて動き出した織田信長が、戦の世界で覇権を握ることが出来たわけです。

そして結果的に、戦の常識は信長の予見した方向に動いていきました。

そう考えると、最先端技術の研究や実証実験のフィールドを作り出すことが、21世紀においても「勝ち組」になるための必要不可欠な条件であると言えそうです。

現代社会で言えばシリコンバレーの生態学ってやつですかね。

日本にそういう場所を作ろうと思ったら、まずは規制を撤廃するしかないんだと思います。

離島が中央集権体制から脱却して、世界で最先端の研究を行うフィールドとして機能させたい今日この頃です。

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