何だかおかしな「世界経済」
「リーマンショック」やら「ギリシャの財政破綻」やら、経済を賑わす重大なニュースが起こるたび、「なんでこんなことが?」と思ってしまう。
今回は、私が今まで読んだ経済関連の本の中から、世界経済の「おかしさ」みたいなものを考えるために、参考となる本を5冊ほど紹介したい。
キーワードとしては、私たちを取り巻く世界経済の中で、「金融化」という色彩が強まっている、という点だろう。
1. 金融が乗っ取る世界経済
この本の要旨としては、
「世界経済が金融化しすぎている!
→リスクの高い金融商品を規制すべきである!」
ということだろう。
技術の進歩に従って、特に知識を要する仕事での能力差は、ますます人の労働市場における「価値」を決定するようなる。
そこには「稼ぐ可能性」に関する大きな違いが生じる。
たとえ人間としての価値が同じで、市民としての権利、個人としての尊厳が同じであったとしても、そこには大きな差がある。
高度に金融化された社会の中で、「原則としては」同じであっても、市民としての権利や個人としての尊厳について、大きな差が生じてしまうのはどうなのだろうか?
そんなことを考えさせる本だ。
2. 超マクロ展望 世界経済の真実
まず強調されている点として、現在先進国が共通して抱えている諸問題の原因は、決して景気循環などといったミクロな視点での事象ではなくて、より広範で大きな流れの中に位置づけられるということだ。
諸問題とは具体的に、アメリカに端を発する金融危機、低経済成長率の恒常化、政府債務に対するソブリンリスク、人口構成の高齢化、環境汚染などである。
また、資源価格の高騰という不可避的な流れからくる新興国の圧力でもって、先進国の既得権益は大いに脅かされている。
何の気なしに新聞を読んでいるだけでは見えてこないが、マクロな視点から自分たちが置かれている状況と、それにどう対処していこうとしているのかが、とてもわかりやすい本であった。
イラク戦争に関しては、メディアが報じるような大量破壊兵器の存在というのが建前であることは察しがついていたが、果たしてそれがどのような意味合いを持つものなのかは全く考えようともしていなかった。
それはアメリカが豊満な財政赤字を垂れ流せる理由とも関係しており、ドルが基軸通貨として機能しているからこそ、アメリカの消費は旺盛たりえたということだ。
もし原油取引に関する基軸通貨としての信頼を失えば、アメリカは大きな財政的リスクを抱えることになってしまう。
その深刻さに比べれば、莫大な戦争資金や根拠の乏しい虐殺行為さえも問題にならないらしい。それ程に、既得権益として機能している「ルール」が大事だということが示唆されている。
「ルール」ということに関しては、社会の変革期においてイギリスがフィールドを陸から海へと転化させたことにも示されているように、新しいルールを作ったものがそこでの利益を得ることができる。
3. House of DEBT
東南アジアの国で、地震や津波と言った大きな災害が起きたことをイメージしてほしい。
大災害が起きた時、困窮をするのはいつも弱者である。
同じことは、昨今の人災とも言える金融危機に対しても当てはまる。危険な場所に立てられた家の価値は消滅する。
唯一、天災と異なる点は、個人を超えた存在である銀行、国家に関しては、「リスクから遠ざけられている」という事だ。
本書は、私たちが抱いている制度そのものへの常識が、個人にとって、「不都合な真実」に他ならないことを示す良書である。
本書は、個人が一方的にリスクに晒されているという状況に対する批判、及び経済的な視点から個人の救済論を展開している。
「借りたモノは必ず返す――」。
従来の常識的な考え方からすると、それはごく真っ当な事かもしれない。
しかし筆者が主張するように、「負債に柔軟性」があることも今後の金融システムを考える上での大きなポイントである。
4. 資本主義以後の世界
資本主義の系譜を辿りながら、その先の世界を概観する良書。第1章では「資本主義の自壊」と題され、グローバル資本主義が抱える3つの欠陥の欠点が指摘されている。
- 国境を越えた資本の移動
- あくなき資本の自己増殖
- 富の偏在、所得格差
これらは是正されるどころか、ますます深刻化している。そしてアメリカが地理的フロンティアの代わりとして目指した金融フロンティアの象徴が「複雑怪奇なデリバティブ派生商品」であり、それが機能しなくなっているとされている。
以降の章では更に遡った系譜、及び日本や中国の資本主義がいかに特殊であるかという点が紹介されている。
アメリカの金融フロンティアは資本主義的拡大主義からの延長線上に基づく戦略であり、日本は軍事保障の依存体質から抜け出せないままアメリカの政策を受け入れてきた。
それは資本の自由な移動や、株主重視の経営スタイルであり、日本は戦後に培ってきた、長期的視点に基づく経営の視点や官僚制度を失ってしまった、という点が筆者らの見解である。
5. それをお金で買いますか
この本を読んで、感想を一言、二言でその内容を表すとすれば、『腐敗の侵食』ということになるだろう。更に一言付け加えるならば、『無意識的な』ということだろう。
何しろこの浸食は、数十年という長期的なスパンで、若い人の人生経験ではほとんど捉えられないような速度で進行しているからだ。
腐敗とは、筆者の述べているように、ある行為、善、認識を、より低級な次元へ貶めてしまうことであり、本来は交換されるべきではない領域に対する侵犯である。
公立の学校には企業の宣伝文句が垂れ流され、難民は国家の財政収支を担う重要な商品として扱われ、臓器や肉体の一部も遍く交換可能な市場に拠出される。
次世代を担う子供に関しても同様に、生む権利と生まない権利が市場で取引される。つまり、人間の尊厳が駆逐され、全ての行為、モノは市場で交換可能な値札以上の何物でもなくなる。
それは価値の一元的な押し付けであり、倫理観、道徳観という概念も死語と化す。全ての人間の意思決定メカニズムは「価格」によって定義される。
この本での肝心なことは、「世界はそういう方向に向かっていますけど、どうなんでしょうね?」という警鐘だろう。