かすみがうらマラソンに出た話 その1

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2015年4月19日かすみがうらマラソン

大会公式ページ

スタート前、私はスタート地点を確認してから、座ってストレッチを開始する。予想はしていたけれど、すごい人だかりである。極力足をリラックスさせるべく、ぶらぶらさせたり延ばしたり。

スタートの号砲が鳴ってからも、7分以上は走れる状態ではなく、参勤交代のようにうだうだと街道を埋め尽くしながら歩き進むだけであった。

10分くらい経ってから、ようやく走れる状態にはなったが人混みがすごく、いちいちこれらを交わしながら走ることは、余計な体力を消耗するだけであると気がついた。

そのため、スタート直後から私は応援客がいる沿道を走ることとした。あんまりそこを走っている人もいなかったので、悠々自適に走ることができた。これはマラソンだけにとどまらず、人生全般においても同じことである。

皆が沿道を走ればやはり渋滞はするけれど、しかし沿道を一人で走れば快走できる。そんなことを考えながら、スイスイと走り進める。

5キロ付近

坂が多く、無理をしない方がよいというアドバイスを聞いたのだが、思いのほかタイムは上がって、早くも1キロを5分で走るという理想のペースを掴むことができた。

あとはこの先、ペースを乱さないように、ただ1キロを5分で走り続けて入れさえすればよい。なんと心安らかな事か。前回(ホノルルマラソン)の場合は、最初が遅すぎたので、途中でペースを上げてしまい結果的に力尽きた。

今回の場合はその逆で、タイムを貯金するという考え方が、心の余裕を生む。

10キロ付近

ひたすら沿道を走り、「人がいない道が素晴らしい」と、つくづく思い、快走する。

区切りの良いところで、何もしないとなまってしまう肩を回したり、首を回したりと、余裕たっぷりの状態である。これがそのうち、しんどくなることはわかっているけれど、その時は単純に走ることを楽しんでいる状態である。

最初の余裕は前回と同様である。楽しく走りながら、このまま走り続けていけば、

いつかどこかにたどり着ける

ということだけは確かであるように思われた。逆に言うと、走ることをやめたら、どこにもたどり着けない。それでも私は、例えばこの大会が終わった後も、確実に”走り続ける”だろうと思えたことが嬉しかった。

15キロ付近

少し坂があったり、道が狭かったりしたこともあり、徐々にペースに遅れが生じてきた。1キロごとに標識があるので、私はそれを手元の時計と照合しながら、ペースを整える。

5分を少し超えてしまうようなときは速度を緩め、体力の温存に努める。しかし次第に、そこまで厳密に、時間に縛られすぎるのもよくないかな、と考え始めた。

「何かしよう」とすること自体が、エネルギーを使うことなのであって、一番エネルギーの消費を抑えるのは、

何も考えず、ただ呼吸をしている

ことなのである。

些細なペースの振れ幅は、この長距離走でいちいち気にするほどのことでもない。