菅首相は骨太方針の演説で、「力強い成長を実現して、世界をリードして」いくための方向性を述べました。
これについては先日、「政治の主要テーマが経済成長である事への違和感」という形で紹介しました。
https://nakanishidaisuke.com/2021/05/why/
「成長志向の政策を進めながら、財政健全化の旗を降ろさず、歳出改革努力を続ける」とも述べています。
しかし改めて、「経済成長」という意味について、考えてみます。
経済成長の限界
GDPに代表される様々な経済指標、つまり成長は、単位時間あたりに消費されるお金の量で計測出来ます。
より多くの人がモノやコトを消費すれば、より多くのお金が動き、経済は活性化します。
そのため、CMをバンバン流して消費意欲を喚起する事が必要です。
ただし日本は人口が減少しているので、1人当たりの生産性をあげて「1億総活躍」しないと成長を実現する事は難しそうです。
①経済成長と国民の幸福度
モノも食料も貧しい時代は、経済成長と国民の幸福度は比例関係だったのでしょう。
しかし現代は、必要なモノもサービスも溢れ、「飢餓で死なない」豊かな時代になりました。
未だに経済成長を最優先とするのは、国民の幸福度ではなく、別の狙いがあるようにも感じられます。
②富の偏在
日本は戦後、一億総中流的な社会を実現しましたが、今はデータが価値の源泉となり、圧倒的な情報のデータを扱うプラットフォーマーに富が偏在する形となりました。
そのため、これからの経済社会において、日本全体がデジタル化して経済成長を果たしても、富が増えるのは一部の資産家や土地の所有者のみになります。
以上の理由により、21世紀の国家が経済成長を目指すのは、時代遅れであり国民全体の利益にマッチした方向性でないと言えます。
それでは、21世紀の民主国家が目指すべき方向性は、どういったものでしょうか?
国という概念
そもそも、民主的にせよ独裁制にせよ、「国家」という概念自体が、時代遅れではないでしょうか?
コロナを背景に先鋭化している米中の対立は、今後も益々周辺国にとっての影響が大きくなりそうです。
今起きている問題は、「地球環境の悪化をどう防ぐか」という問題であり、地球規模の問題です。
国家という狭い枠に捕らわれていては、到底解決する事が出来ません。
また、先端技術を巡って喧嘩をしている場合じゃないのも事実です。
相手が非道な場合
もしも隣人の相手が、非道なジャイアンだった場合、応戦して戦う事が正しいのでしょうか?
周囲に暴力をふるって「手に負えない生徒」がクラスにいた場合を想像してみましょう。
どんなに困った状況でも
相手を説得させる、集団で異議を申し立てる、先生に頼む、など、
必ずしも暴力に頼らない問題解決の方法はあるはずです。
それと同じく、政治的な分野でもただ「泣き寝入り」をするわけではなく、相手と同じ土俵で戦わず、別の手段で問題解決を図る事を目指すべきです。どうしても嫌なら、国民はそこから逃げる事だって可能です。
別の例で、家の周りで想像してみてください。
怖いからと銃を構えて不審者の侵入に備えるべきでしょうか?
そもそも、銃を持ちたいという心理は、人間の「自分を守りたい、失いたくない」という心の現れです。そこを乗り越える勇気を持つことが出来たら、銃を持つ人が少しずつ減るかもしれません。皆が疑心暗鬼になれば、信用不安の連鎖によって皆が相互不信に陥り、銃を持ち始めます。
誰か一人が勇気をもって銃を捨てる事。
核兵器に関しても、同じことが言えるのではないでしょうか。
国家間の現実はそんなに甘くない。もっと現実と国益を直視しろ、と言われるかもしれません。しかし尖閣諸島も国家の財産も、誰かが「持っている」と思い込んでいるだけに過ぎないし、あの世まで持っていけるモノでもありません。土地や海域など、本来は人間の所有物ではない権利や縄張りを巡って人が命を懸けるなんて、全く愚かな行為だと言えるのではないでしょうか。
世界平和の解決に向けては、まずは「恐れを捨てる」事から始める事が大切ではないでしょうか。
相手がどんなジャイアンに見えても、それを作り出しているのは弱い自分の心だという所から始めるのが良いでしょう。心理的な面からの政治アプローチもありかもしれません。
そして実践編では同じく、物からの依存関係を排除するという事が挙げられます。
電気・ガス・水道というライフラインを、可能な限り外部依存を少ない状態にしてみる。すると自分が生きていくために必要最低限必要なモノが何かが分かる。そうすれば、別に大規模な火力発電所は必要ないし、高い薬も不要になる。エネルギーを使うという前提から、エネルギーを可能な限り使わないという前提への転換。そして多くを求めず、小さく暮らす。そうすれば、社会の在り方は大きく変わるはずです。エコビレッジを創るのも良いかもしれません。
自由が奪われ、経済が分断し、人類の手に負えないパワーを駆使した争いが生じる。そんな近未来が、もう間近に迫っているとも言えるでしょう。
国家という20世紀の概念で考えていては、こんがらがった紐をほどくことはできないと感じます。
そのため、既存の枠組みを超えた団体作り、活動にも精を出していこうと思っています。