政治家を目指した理由について改めて考えてみた

  • 2021年5月31日
  • 2021年5月30日
  • 雑談

「なんで政治家を目指す事になったのですか?」

これは私が今後も否応なしに尋ねられる質問だと思います。

そのたびに、「いつものテンプレ説明」をする事は可能ですが、

毎回同じ説明ではつまらないので、幾つかのレパートリーを備えておきます。

勿論、それは嘘ではなくて真実であり、違う角度から見た時に、様々な回答が可能だと思います。

始めのきっかけは高校生くらいのときです。

中学生の頃から日記を書き続けていたこともあり、当時は

「社会の仕組みとそのシステム」

について、ノート2ページ分くらいびっしりと書いた記憶があります。

その時、「なぜ経済や社会は成長し続けなければいけないのか?」という疑問を書いた記憶があります。

成長とは、動物や植物が一定の段階を経て大人になる過程であり、成長は「いつか止まる」のが普通です。

ところが、私たちの社会や政治は、「永遠に成長し続ける事」を前提に物事を考えているように感じられて、「何だか変じゃないかな?」と疑問に思っていました。いったい誰の意志でそうなっているのか、今一つ理解できないまま、高校を卒業しました。

大学生の時、電車に乗りながら、「数年後に自分も社会人になり、今目の前にいる暗い顔をした、くたびれたサラリーマンになるんだな・・・」と、数年後の「不可避的な未来」を想像し、「それならば大学生の間は、後悔しないくらい遊んでおこう」と思い、他の多くの学生と同様に、バイトの合間を縫っては遊んだり旅行をしたりしました。そしてリーマンショックが起こり、激動する経済の中で、どうやら資本主義の中での「新自由主義的な考え」が、それを加速させている事を知りました。大学3年生の頃には東日本大震災が起こり、その状況を生で見に行くために、実家から東北まで一人車を走らせたりもしました。

私は希望していた会社から偶然に内定を貰えたこともあり、意気揚々と入社しました。入社前の面接では「情報系の学生が多い会社だから、君は2週分くらい遅れた状態でスタートになるけど、大丈夫そうですか?」と聴かれ、私は「大丈夫です」と答えました。その言葉に従い、周りが大学院卒の情報系だらけの中、入社前は猛烈に勉強に励みました。更に入社してからも、情報系の資格取得やプログラミングの知識について、更なる勉強の連続でした。勉強自体は好きでしたが、体力的なキツさは覚悟していた以上でした。そうした中、証券系のシステム部門に配属されたこともあり、かねてから抱いていた「もやもや」の実体について、その輪郭が更に浮かび上がってきました。(「金融化する世界経済」というタイトルのブログにまとめています。)

金融化する世界経済を知るための読みやすい本5選

入社3年目の頃、たまたま凄く忙しいプロジェクトに配属となり、心身ともに疲労困憊と葛藤の日々が続きました。たまたまですが、当時私は「金融化する世界経済」の最前線で、大手証券会社が扱う複雑なシステムと毎日、格闘するようにガチャガチャと音を立て、スパゲティのように複雑な論理パズルと持久戦で戦っていました。「忙しくて終わらない」という話は、システム界隈では「よくある話」です。ところがどんなに忙しくても「高いプロ意識」と「Noとは言えない納期」があるため、徹夜して頑張るのが一般的でした。高度に金融化された株式市場では、株主への安定的なリターンが求められるため、会社として納期の順守は必達です。そして納期が変更できない以上、誰かが負担を背負わなければいけません。昔はその風潮が今よりも強く、「長く働けること」が有能であるかのような雰囲気もありました。

私が在籍している2014年頃は、長時間労働是正の取り組みもかなり進み、社内や業界全体としても改善される空気が漂っていました。しかしそれでも、たまたま運悪く心身に影響をきたしてしまう同僚もいました。「明日は我が身」の状態が続く中で、私も「最悪のケース」を現実のものとして考え、捉えどころのない不安を感じました。

そしてある日、

「このままではいけない。自分の人生を『自分のモノ』にしなければいけない」

と悟りました。もともと、終身雇用のサラリーマンではなく、「いつかは起業したい」という漠然とした思いもあり、会社員で居続ける事は考えていませんでした。そうした状況の中、たまたま五島で外国人向けのゲストハウスという「実現できそうな夢」を見つけ、会社を辞めて五島に移住する事にしました。

高校生の頃から抱き始めていた「もやもや」が、少しずつ現実のモノとして姿を現し、年を重ねる毎にその不気味な輪郭も浮かび上がってきました。そして奇しくも、その巨大なモンスターの一部に身を投じ、その中で自分の人生を根底から考え直し、早期リタイヤしました。

私は社会人での経験を通じて、「強欲で歪んだ金融資本主義」の仕組みを変える事が、世界で生じる不幸を取り除く、根本的な治療ではないかと思います。

政治の力でどこまで出来るのか、まだはっきり言ってよく分かりません。

それを修正するのは政治の力だけでは足りないのかもしれません。

ただ一人の人間として、「今のままのシステム」を何らかの形で改善したり、場合によっては別のシステムに置き換える必要性があると考えています。大西つねき氏の述べる「お金の発行の仕組み」辺りが鍵になるのではないかと思っています。

そのための手段として、政治力をどこまで行使できるのか、これからも試していこうと思っています。