本日は、天気が良かったので、外を歩きました。
そこで、自分自身が「情報処理装置」であると考えながら歩いてみました。
そこで気が付いたのは、
歩く事の価値が高い
という事です。本日は、その理由をご紹介です。
見える世界が異なる
車の中で見えている世界は、大きな看板とか、信号とかだけです。
しかし、歩いていると、
これは何だろう?
という「立ち止まり」が許されます。
これは非常に大きなポイントだと思っていまして、車は基本的に、路上で止まる事が許されていません。(信号除く)
世の中で価値を生むためには、他者との差別化が必要です。
その意味でも、
他の人が見えていない景色が見えている事
は、非常に大きな武器ではないかと感じました。
私が中学生だった時、理科の実験室にはこんな標語が掲げられていました。
「見る目でいつも、発見しよう」
これは新しい刺激が多い子供よりも、
刺激が少ない大人にこそ響く言葉ではないでしょうか。
道路にはたくさんの、社会課題のヒントがあります。
- 電線の絡まり方
- ゴミのポイ捨て
- 道路の道幅
- 看板の高さや大きさ
そうした日常生活に関する疑問を見つける事が出来るのも、歩く事ならではの特権です。
心の健康にプラス
それと、ミスチルの「ヒカリノアトリエ」という曲の中に、こんなフレーズがあります。
たとえば100万回のうち
たったいちどある奇跡
下をむいてばかりいたら
見逃してしまうだろう
歩く時の視線は自由である一方で、車は基本的に、事故を起こさないように注意を払う必要があります。
私はよく外を歩いていると、
なぜあの人は歩いているのだろう?
みたいな目で見られている気がします。
しかし、これは非常に大事な事ですが、
車は人間のためにデザインされているけど
人間は車のためにデザインされている訳ではない
のです。人間の身体は、運転よりも
歩くことを前提にデザインされています
そう捉えるならば、車の移動よりも、
歩く方が心の健康にとってはプラスです。
多分、縄文人から見たら、
現代人の移動形式は、非常にストレスフルに感じる事でしょう。
稲盛和夫氏の執筆した「心。」を読んでから、
歩く事の認知的な価値
が、ぐっと上がったと感じました。
成熟経済での「歩き」
それと、もう新幹線みたいに
「早く移動する事」
の価値はあまり高くなくなりました。
経済が成長していた時代は、皆が早く移動する事で、一人当たりの取り分が増えていたので、ハッピーな状態でした。
ところが、経済の成長が止まると、「早く移動する事自体」が馬鹿馬鹿しく思えてきます。
あれ?なんで5分に1回来る電車にダッシュしているの?
みたいな感じで。
要するに、早く移動する事は、
時間あたりの「経済活動の量」を増やすことに他ならず、
それで得をするのは、土地や資本を持つ「資産家」です。
スローライフな生き方が実践できるのが島暮らしですが、
島の生活は島の生活で、みなさま忙しいようにも感じます。
島には電車がないので、多くの方は車で移動をしています。
いっその事、車の移動が不要となり、
みんながイキイキと外で歩く島の方が、
これからの時代に合っていると感じます。