選挙について思ふ事-3-

  • 2019年4月29日
  • 2019年4月29日
  • 雑談

おはようございます。

さて本日は、選挙について思ふ事をつらつらと書いていきます。

1票の価値と結果

私が住む長崎県五島市では、4月に県議会選挙がありました。

簡単に結果だけ紹介すると、

  • 棄権票 34.5%
  • 現職投票率(当選)33.1%
  • 新人投票率(落選)31.5%

という結果でした。詳細はこちら。

https://nakanishidaisuke.com/2019/04/08/yamadashi/

私が非常に勿体ないと思うのは、両候補とも、政策的には殆ど同じような事を述べている点です。

  • 一次産業の振興
  • 雇用の促進と所得向上
  • 子育て支援・人口減少対策
  • スポーツ活動の推進
  • 住民が安心できる地域づくり

など、80%が同じ政策テーマです。

しかし考えてみれば、議員の主な仕事は

「自らの考える政策を推進する事」

ではなく、

「行政側の推進する政策に対する議決権の行使」

です。

http://careergarden.jp/kengikaigiin/work/

そこの部分に対する認識があまり浸透していないので、庶民感覚で言えば、

同じような事言っているんだから、一緒に仲良くやれば良くない?

となります。そもそも、選挙が多数決による「1か0か」というのは、意思決定の仕組みとしてどうなんでしょう?

県議選で言えば、3分の1の有権者の意思は尊重されましたが、3分の2の有権者の意思は反映されていません。

今回の選挙で候補者だった2名の方の政策を見ていると、

それってクラウドファンディングでやれば良くない?

というようなテーマもあります。

首長の選挙の場合

政策が重要な争点となる選挙(首長選挙)の場合はどうでしょう?

例えば長崎市では、

  • 人口減少対策
  • MICE施設の是非

が問われているように、長崎新聞で報じられていました。

ところが蓋を開けてみると、政策的な疑問はあまり投票結果に影響を及ぼしていない事が分かりました。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20190422/5030003755.html

田上富久、無所属・現、当選、8万6319票。
橋本剛、 無所属・新、   5万4136票。
高比良元、無所属・新、   1万9239票。
吉富博久、無所属・新、     4207票。

反現職の票を全て足しても、現職の方がわずかに上です。

出口調査では、現職への投票理由として、「人柄」が大きかったみたいです。

死票と諦観

現在の選挙制度では、必ず「死票」が生まれます。多数の候補が乱立すればするほど、その可能性は高くなります。

死票の存在は、有権者に対して

所詮、少数派は無視されるんだなあ・・・

結局、お金のある政党には勝てないな・・・

という諦観を植え付けます。

そもそも、毎朝飲む味噌汁でさえ、数十種類の選択肢がある現代社会で、

皆が満足する候補者を1人に絞る

というのは、あまりにも非現実的で、多様化する価値観に全く相応しくない、とも考えられます。

一般市民の政治参加

とは言っても、私は現状に悲観している訳ではありません。

むしろ政策的な話については、一般市民にもできる事はあります。

大きな理想を掲げれば、クラウドファンディングで資金が調達できるからです。

そうした観点からは、国や県からの予算・承認がないと動きが取れない地方自治体の首長よりも、むしろ民間の方が大きな仕事ができる余地があります。

私がスゴイと思うのは、五島にトライアスロン(現在のバラモンキング)を誘致した方の話です。最初は

「トライアスロンの実施なんて、絶対無理!なぜなら、国土交通省の所管では・・・」

というように、どこに掛け合っても八方塞がりな話だったみたいです。

ところが、様々な陳情や努力を重ねた結果(この経緯だけでも記事になります)誘致に成功し、今やトライアスロンは、五島市の名物イベントになっています。

こうした事例からも、

確固たる決意を持った個人は、国家よりも強い

これが現代社会のルールです。

振り返ってみれば、歴史を大きく動かしてきたのは、いつも個人でした。

現代では、「資金調達が容易に可能になった」という点で、個人がますます活躍しやすい時代です。

選挙制度そのものは、人々に諦観を植え付ける装置になっていますが、それでも個人にとっては、非常に生きやすい社会だと言える気がします。