現代の若者
現代の若者は、「草食系」だとか、「悟り世代」だとか、揶揄されることが多い気がします。
それは一昔前のバブル時代の若者と比べると
- 高価なモノを欲しがらない
- 大きな理想を抱かない
- 全体的に意欲が乏しい
という傾向に象徴されるのでしょう。
そこで本日は、どういう理由で若者が変化していったのか、割と大きな時間軸で考えてみたいと思います。
日露戦争以降の大国意識
明治以降、大日本帝国は、ひたすらに「一等国」の地位を目指してなりふり構わず驀進してきました。
近隣諸国(アジアの国々)の事は下にみなし、とにかく欧米列強に方を並べるために、富国強兵をしてきました。
ようやくそれが叶ったのは日露戦争の後で、その後の敗戦までは、「大国意識」が国民の間にも浸透していた気がします。
“まさか”の敗北
ところが昭和の初期から恐慌が始まり、日本の政治は首脳の暗殺や植民地の拡大という、「軍部への統制が及ばない状況」へと向かっていきました。
それに対する「列強からの締め付け」が孤立主義に拍車をかけ、結局は郡部が暴走する形にいたり、首脳も合理的な判断が及ばない体制になり、敗戦へと突き進んでしまいました。
ところがその間も、国民の多くはその実態を知らされないまま、「日本は一等国」の意識を持ち続けていたのではないでしょうか。
国民からすれば、太平洋戦争の「敗北」は、薄々気づいてはいたけれど、「神国日本」にとっての “まさかの事態”だったと思います。
戦後の苦境
ここからが本題です。
日露戦争以降の日本人のブランド意識は、「世界の一等国」でしたが、戦後の日本人の生活は、荒廃の中からのスタートです。
それは軍部やメディアが、実体以上に「日本人としての意識」を、高く設定しすぎた功罪もあるでしょう。
しかしその心理的ギャップは、戦後復興において、大きな原動力となったのも事実だと思います。
- 敗戦の中の貧しさから来る渇望
- アジアの「一等国」としてのプライド意識
- 軍国時代に培われた規律と模範
といった部分をバネにして、日本は「経済大国への道」をまっしぐら出来たのだと思います。
何もなかったから頑張れた。
しかし逆に言えば、日本人は頑張りすぎてしまったのかもしれません。
コンビニ社会
その産物として生まれたのが、現代の日本社会に象徴される
「超コンビニ社会」
ではないでしょうか。今となっては当たり前になっている
- 風邪をひいても即座に回復できる栄養ドリンク
- 電車に乗り遅れても5分で来る各駅停車
- 1クリックで配達可能な物流サービス網
といった「超便利な社会」を実現できたのも、そうした戦後の「頑張り」のおかげだと考えられます。
戦後の日本は、アクセルは全開に出来たけど、ブレーキが利かなったために、環境汚染や食品公害を始めとする、様々な弊害も生んできました。
まとめ
現代の若者は夢も持たないし、昔のようにモノに対する執着や願望もそれほど多くありません。
それゆえ、「悟り世代」なんて揶揄されたりもします。
しかし考えてみると、現代の「便利すぎる社会」を生んだのは、戦後の「頑張りすぎ」である気がします。
その要因を大きく二つ挙げるとすれば、
- アジアの「一等国」としてのプライド意識
- 戦後の何もなさすぎる社会への欠乏感
だったと思います。この2つが相まって、便利すぎる社会へのアクセルが踏まれすぎてしまったのだと思います。
社会は便利になり過ぎたけれど、昭和の大人の意識は依然として、「頑張る→成長する」という意識のままです。
そのため、現代の若者は、
いやいや、これ以上便利になっても、どーすんの???
という、至極まっとうな疑問を抱き、これ以上「経済成長」が見通せない社会への不信感を強めているのではないでしょうか?