カトリック男性の話
先日、島でガイドをしているときに、80歳程のカトリックの方からこんな話を聴きました。
私は終戦の時に小学生でしたが、もちろん(カトリックへの)差別はありました。
当時その集落では、「地下者(ヂゲモン)」と呼ばれる仏教徒の方々とカトリックの方々が共に暮らしていて、カトリックの方は経済的に貧しかったそうです。
(カトリックは)見た目で分かってしまうんですよね。それで酷いイジメもありました。
明治の解禁から50年以上も経っているのにも関わらず、です。
五島崩れと呼ばれる激しい弾圧があった後も、社会的には厳しい立場にあったとのお話でした。
香港から巡礼で来た観光客を前にして、更にその方は続けました。
私は正直、日本が戦争に負けてよかったと思っています。日本人は当時から、同じ集落の人さえも見下し、差別をする民族だったからです。
明治の日本人は、刀を振り回して同じ集落の異教徒さえも、平気で切り殺したりしていました。(鯛の裏の試し切り参照)
更にアジアの国々を植民地とした後は、数々の野蛮な行為も行いました。こんな国は、負けて良かったと、不謹慎ですが思っているのです。
男性の切実な本心に、私は何ともいえない気持ちになりました。
「私たち」の概念
なぜこのようなことが起こりえたのでしょうか?
答えは単純で、昔は「私たち」の概念が狭かったのです。加害者としてカトリックを差別していた人からすると、
「私たち=仏教徒」
であり、カトリックは「私たち」に含まれていなかったのです。戦争の時代にあっては、
「私たち=大日本帝国の人たち」
であり、アジアの人々は別のカテゴリーだったのでしょう。逆に時代を遡ると、
「平家にあらずんば人にアラズ」
と言われたように、「私たち」の概念は、更に狭かったことが伺えます。
現代社会にあっては、
「私たち=人間」
というのが一般的に広がっていますが、徐々にこの感覚も、人間同士の不平等を背景に、軋轢が生じつつあります。
しかしながら、もっと大きな時間軸で考えると、「私たち」の概念は、拡張しつつあります。
- FBを通じて知り合った友達と
- 留学先で知り合った友人と
- オンラインゲームで戦った戦友と
人間社会における「私たち」の概念は、水平方向に無尽蔵に広がっていきます。
100年後の教科書を想像してみる
おそらく100年後は、「私たち」の概念が、脊椎動物や昆虫にまで拡張されるでしょう。何しろ現代でさえ、大型の哺乳類は「私たち」の範囲に含めて考える傾向が強いです。
- 捕鯨=野蛮な殺戮行為
であると見なされていることからも、生物全般に「私たち」は拡張されることになります。具体的にいうと、
- 牛の屠殺場=野蛮で無慈悲な殺戮工場
- 殺虫剤=野蛮な大量破壊兵器
- 地引網=野蛮な集団隔離装置
と見なされ、世界各地でアウシュビッツを訪れるような「負の遺産」を見物人が訪れることになるでしょう。
100年前を考えてみてください。
100年後の人々が博物館で「野蛮な戦争」を観察することを、戦争に明け暮れていた人々が予想していたでしょうか?
同じように、私たちが「常識」として行っている全ての行為は、100年後の博物館で、
滑稽な風習に支配された野蛮な人たち
と呼ばれるに違いありません。それは「私たち」の概念が、技術の進歩と共に加速度的に拡張されるからです。
「私たち」の概念が拡張されるに伴って、「野蛮であった」過去の行為も広がっていきます。
「私たち」とは?
最近は、キリスト教のことについても少しずつお勉強をしています。
その中で印象的だったのは、「十字架の意味」というテーマでして、簡単に言えば「神との関わり方、人との関わり方」ということです。
神との関わりが十字の縦だとすると、人との関わりが横の部分です。
これからの時代に益々重要になってくるのは、この「横の部分」だと思ってまして、
「私たち」とはどこまでの範囲なのか?
ということです。
- 生物の全般を「私たち」に含めるのか?
- 物質の存在も「私たち」に認めるのか?
- 宗教と科学の関係性は?
そのあたりのことも含めて、新しい世界観が生まれる可能性は大いにあります。