【50年前の五島】新日本紀行から考える離島振興のあり方

新日本紀行とは?

今の若い世代には認知度が低い番組ですが、NHKの特集番組です。この番組は1963年から始まり、1982年に終了となっています。

この19年間の時代はまさしく、日本の高度経済成長時代ですね。

  • 1964年:東京オリンピック
  • 1971年:沖縄返還協定調印
  • 1975年:ベトナム戦争終結

今回は新日本紀行 第58巻 五島列島。その感想を紹介します。

漁場として栄えていた

五島の高齢者の方からはよく、

「昔は本当によく魚が取れた」

という話を聴きます。このビデオの中では、

今から30年ほど前、五島は鯨やマグロ漁の基地として栄えていましたが、近頃では取れなくなってしまった。」

と紹介されています。

1967年の頃には、衰退の一途を辿り始めていた様子です。それでも網の中には巨大なサメとか出現していますけどね(サメは一円の値打ちもないため、ポイされる)。

漁獲量が激減

このビデオの中でも、1億円の水揚げ高が5千万円という目標に半減されてしまったようです。

それでも海岸では、まだハマグリが取れていたみたいです。

田尾海岸で紹介されていたハマグリ漁は、桑を背に付けた牛に海岸線を歩いてもらい、後ろからハマグリを拾っていく手法です。

今で言えば、トラクターの後ろにカラスが大量に集まって餌を狙っていく風景と重なりますね。

福江市の人口が3万6千人

次に街の中心部の紹介として、「福江市」が紹介されます。

あれ?今の人口と変わらないジャン?

と思われるかもしれませんが、皮肉なことに、コレは市町村合併前の「福江市」です。

福江の大火(1962年)から復興した福江市内の町並みは、「道路の広い近代的な街」に生まれ変わったと紹介されています。

「道路の広い近代的な街」

は、50年経った今、

「シャッターの多い閉鎖的な街」

のように見えます。「近代的」という言葉の賞味期限って意外と短いものですね。

失われた「外国との接点」

外国との接点として、遣唐使から始まり、倭寇の時代を経て歴史の紹介がされています。

江戸時代には「遠見番役」という監視所が設けられ、外国船の動きをつぶさに見守っていたそうです。

気になったのは「外国との接点」と言う言葉ですが、

日本が明治時代になってからは、その窓口としての働きは長い間失われてしまったようです。おかげで2020年のオリンピックを目前にしながらも、五島の外国人観光客はとっても少ないです。

五島の観光客を対馬と比較

ちなみに島全体の人口は、13万人と紹介されています。(50年間でおよそ9万人減っています)

一次産業にしか頼れない離島経済

当時、五島の農業の45%はサツマイモの生産で、中には7桁の年収をたたき出す農家もいたそうです。

が、大半は零細企業で年収の平均は25万円程度だそうです(誰から聞いたのでしょうか・・・)。

今の年収に換算したらどのくらいですかね?

離島の経済を表す印象的な紹介として、

「第一次産業にしか頼れない離島は、わが国の高度経済成長の影に残されてきました。」

と述べられています。五島は昔から農業の島としてやってきたのですね。

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姫島に見る「離島振興」のあり方

2017年現在、50年以上に渡り無人島となっている姫島には、最盛期で60人ほどのカトリック信者がいたそうです。

離島振興として、島に「文化の恩恵」として電気や電話がもたらされ、1千万円以上の国費が投入されたと紹介されています。

が、結局は集団移転して島ごと無人島となっているのが現実。

中央から「頑張れ!」といってお金を投入されるだけでは、離島は繁栄ではなく、延命と衰退を辿るしかありません。

それは現在の政策についても同じことが言えるのではないでしょうか。

国境離島新法

島を盛り上げるためには?

動画の中では、

島に人を呼び戻すためには、産業を興し、所得の上がる島にならなければなりません。

と紹介されています。それから

「採る漁業」ではなく「育てる漁業」として、ハマチの養殖が掲げられています。しかしこの「産業を育てる」というテーマ、50年間の間にどれだけ本気で実践されていたのでしょうか?

  • そもそも問題意識は本当にあったの?
  • 問題意識があったけど実践できなかったのはなぜ?

などなど。疑問はつきません。

でも突き詰めて考えると、やはり島の政策・方針が「経済成長をしている国」という枠組みの中でしか考えられなかったことが大きいでしょう。

中央集権体制からの脱却

そしてその格差を埋めるための「補助金」体質に島が甘んじてしまったことが、競争意欲を削ぐ要因にもなっていたのでしょう。

高度経済成長

人とモノを結集して「大量にモノを作る」という、国の大きな方針に対して、島は独自の

「成長戦略」

を描く必要があったのではないでしょうか。そうではなかったからこそ、

「競争力の低い(所得の上がらない)一次産業」

にしがみつくしかなく、新しい産業も育たなかったのではないでしょうか。

五島の平均給与

それが「できるかできないか」はともかくとして、そういう動きがなかったというのは少し不思議な感じがします。

動画の後半で紹介されている「集団就職」もその典型ですね。人口の社会減を促進する大きな要因として、若者の都市への流入が紹介されています。

離島振興

最後に、黄色島で牧場を開いた島民の様子が紹介されています。

黄島とは?

労働力不足により、牛がやせ細ってしまっていると紹介されています。そして島民の解説として、

受身の離島振興を捨てて、自らの手による島づくりに立ち上がっています。

これ、50年後の島民にはどう映るのでしょうか?