中学校の国語教師の予言
中学生の頃、1学級30人程度の真夏の教室で、期末テストの結果に一喜一憂する生徒に対して担任の先生がこんなことを言っていたのを覚えている。
「これからの時代、大学に入ったからと言って安定ではないよ。」
それは受験を間近に控えた生徒のかける言葉としては望ましくないのだろうけど、今考えると最もな忠告だったと思う。
学校で唯一他人との差をつけられるのがテストの点数であり、そこから派生する「受験」という道筋の分岐点。
良い高校→良い大学→良い会社(≒賃金)→良い人生
という単純なレールを疑いもなく信じていた中学生たちに対する警句としては、含蓄のあるものだったと今でも思う。
実際はどうか?
その予言から10年以上が経過した今現在の段階で、周囲を改めて見渡してみる。
同じ高校に行った生徒の半分以上は、いわゆる「難関大」と言われる場所に造作もなく進学し、殆どの場合はその延長線上にある「名の知れた会社」に就職した。
一方で、中学校の頃に一緒にサッカーをした友達や、学力水準の異なる友達については、同様に進学をした後、いずれかの会社や組織に就職した。
所謂「大企業」と言われるような会社に就職した人は殆どおらず、酒を飲みながら話を聴いていると給与水準もそこまで芳しくはないようだ。
サラリーマンの平均年収が400万円台という時代に合っては、あまり羽振りの良い生活を送っている友達と言うのもあまり見当たらない。
少なくとも私の知り合いに見渡す限りでは、安全神話の等式は健在であるように思える。
独立した人はいない
30代と言う一種の目に見える通過点を目前にして、友達の半分くらいは結婚をした。
とりわけ女の子の結婚率が高いのは、出産のことがあるからだろう。男の場合も、仕事が少し落ち着いてきた段階で結婚をし、順調に人生の駒を進めている。
社会人を数年経験し、ある程度収入も落ち着き、家庭を築く下地が整った状態なのだろう。
最近思うのは、そういう「メインストリーム」の人生プランから、私はドンドン間逆の方向に向かって舵を取っているのではないか、と言うことだ。
不安定な仕事、不安定な給料
現在のところ、国境離島新法の創業者支援制度を使って「SUP事業」を始めた。
3日間の来客数は20名前後、売上高は2万円弱と、出だしとしては「最悪ではない」と言ったところだろうか。
それでも、こんな調子では到底人件費すら賄えないから、もっと稼がなければいけない。
自分自身の収入源としては家庭教師や飲食店の経理をしているのだが、あまり余裕のある状態ではない。
まずは本業の方で結果を出すことを優先して考える必要がある。
リスクを取らない生き方
今思えば、会社員時代はある意味で気が楽だったなあと思う。仕事で辛くとも、残業が多かろうと、ひとまずは「生きていくことができた」からだ。
それと比べると、今の生活は生活そのものがリスク満載だともいえる。家族を築いて家庭を支えるといったリスクは背負えるはずもない。自分自身の生活さえもままならないのだから。
しかし思うのだが、リスクを取らない生き方こそが、現代の社会で一番リスクの大きいことではないだろうか。
変化が激しいから
その理由は、東芝や東電といった大企業の危機を見ていても分かるように、「安全神話」が崩壊しているからだ。
勿論皆、公務員も会社員も、仕事を毎日頑張っている。
「安定している」と言われた勤め先で働く人も、零細企業で働く人も。小さい頃から「頑張ること」を美徳として教育されてきたから。
それはそれで結構なのだが、経営母体そのものが危機に瀕したときに、果たして生きていくことができるのだろうか?
そういった危機的な大変化は間違いなくこの先も頻発するだろうし、それに対する備えと言うのも必要な気がする。
要するに、一人でも泳いでいけるような力が今後はますます必要になってくる。
だからこそ、現代の社会では「リスクを取らない」事こそが、将来的に見て一番大きなリスクであると思う。