佐世保は“街全体が近現代史の博物館”だった

日本の近現代史を、私たちは本当に「理解」できているだろうか。

年号や出来事を暗記するだけで、戦争や安全保障、主権といった問題を、自分ごととして捉えられているだろうか。

長崎県五島市から佐世保を訪れ、海軍資料館と街、そして軍港を実際に体験する中で、私は強くそう感じた。佐世保は、単なる歴史施設の集積地ではなく、街全体が日本の近現代史を体感できる“博物館”のような場所だった。

佐世保は、もともと人口4,000人規模の小さな村だった。しかし明治期の富国強兵政策と歩調を合わせる形で軍港として発展し、戦前は日本海軍の拠点、戦後は米軍基地の街として歩んできた。現在もなお、日米安保体制の最前線にある軍港都市である。

海軍資料館で特に印象的だったのは、歴史を「俯瞰」できる展示だ。日本が太平洋のどこまで進出し、どのように後退していったのか。作戦範囲や戦局の推移が、空間的な広がりとして理解できる。

中でも「太平洋で沈んだ戦艦のマップ」は強烈だった。無数の戦艦が太平洋各地で撃沈されている様子を目にし、日本がどれほどの戦力を広大な海域に投入していたのか、その現実の重さが実感として迫ってくる。これは、教科書やスマートフォンの画面では得られない学びだ。

資料館の後、雨が降る中ではあったが、佐世保軍艦クルーズにも参加した。世界最強と称される米軍第七艦隊を抱える軍港に並ぶ艦船を、海上から間近に見る体験である。出払っている艦も多かったが、ステルス艦である海上自衛隊の護衛艦が数隻停泊しており、現実の安全保障が「今ここにある」ことを強く感じさせられた。

また資料館では、地雷除去や災害救助など、世界各地で活動する自衛隊の姿も紹介されている。政治的立場を超えて、国際社会の中で自衛隊が果たしている役割を知ることは、日本人として重要な視点だと思う。

繁華街には今も多くの米軍関係者が集う店が並ぶ。その光景は、日本が敗戦国であり、現在も日米安保体制の下にあるという事実を静かに突きつけてくる。「主権国家とは何か」「抑止力とは何か」という問いが、街を歩くだけで浮かび上がってくる。

今回の訪問を通じ、私は軍事や安全保障の観点から、九州や長崎という地域をもっと捉え直す必要があると感じた。佐世保は、過去を学ぶ街であると同時に、日本の現在地を考えさせる街だ。

街そのものが一つの象徴であり、そこで得られる空気感こそが、教科書では味わえない本当の学習になる。

佐世保は、まさに“街全体が近現代史の博物館”だった。