こちらの記事の続きです。
本記事では、大賀副市長がなぜいきなり解職されてしまったのか、その理由を考察しています。
目次
五島市の出口市長と大賀副市長の任期
- 出口市長の就任日:2024年9月5日(当時は久保実氏が副市長)
- 大賀副市長の就任日:2025年4月1日(久保実氏と交代)
- 大賀副市長の解職日:2025年12月23日
- 解職迄の日数:266日
副市長というポジション
副市長というポジションは、市役所内においての事務方の頂点です。
よく勘違いされますが、副市長は市長と異なり「選挙を通じて選ばれる政治家」ではなく、市長が選びます。
当然ながら誰もがなれるキャリアでもなく、一般的には事務処理能力・調整力に長けた「現場のプロ」がなる事が多いそうです。
そしてそのまま「市長」や「町長」を目指す場合も多いです。
一部の市町村では「役所の上の人」ではなく、民間から抜擢するというケースもあります。
市長が3月議会で副市長を選任する際、事前に個別の説明がありましたが、当時は
この方しか適任者はいない。
と市長が推薦理由を述べられたと記憶しています(たしか)。
副市長の選任には議会の同意が必要とされますが、解職の場合は特に議会の議決を必要とはしません(と、今日知りました)。
わずか1年も経たないうちに解職されるという事は、「よっぽどの出来事」があったのではないかと思います。
副市長の所信表明
5月の臨時議会で大賀氏は就任の挨拶としてこう述べました。
副市長 僭越ですけれども、貴重なお時間を頂きまして就任に当たりましての御挨拶を申し上げます。この度、3月市議会定例会におきまして、議員皆様方の御高配により選任の同意を賜り、4月1日付で副市長の任を拝命いたしました大賀でございます。もとより浅学非才であり、自らの未熟さを自覚しつつも、就任後、改めてその役割と職責の重要性を日々痛感し、身の引き締まる思いでございます。
昨年、市制施行20周年を迎えた本市は、今年度は新たな時代への幕開けとステップアップを踏み出し、第3期五島市まち・ひと・しごと創生人口ビジョン・総合戦略で掲げる地域ビジョン、「創造する未来 海と共に輝く宝“しま”」に向けたまちづくりが既に始動しておるところであります。豊かな自然、秀でた歴史や文化、魅力ある景勝地、さらには多彩な味覚が楽しめる食文化など、本市の魅力は多岐にわたりますが、厳しい状況下での課題も山積しているところであります。私自身、微力ではございますが、市長を補佐し、議会、市民の皆様の御意見を賜りながら、時世の変化に対応しためり張りのある行政運営を目指し、職員と力を合わせ、公明正大に市政の発展に努めてまいる覚悟であります。議員の皆様には、今後とも御指導を賜りますようよろしくお願いを申し上げます。甚だ簡素ではございますが、就任の挨拶と代えさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
ただ、その後の議会(6月~12月)では総務企画部長時代と比べて、答弁する回数が減ったと記憶しています。これは大賀氏本人の問題というよりは、五島市議会の関連として、「副市長はあまり積極的に答弁しない」だけかもしれません。
最近1年間で、一番多く答弁したテーマが「損害賠償請求事件」に関する「控訴」や「和解」についてでした。
副市長の解職は全国的に珍しい?
全国の事例を調査すると、少ないですが
任期中に副市長(副町長)が解職される
という事例はあるそうです。2020年~2025年では5件確認できました。(DeepReseach調べ)
https://chatgpt.com/s/dr_694a5a0f3e5081919e99d760ad3e01bf
ただし、幾つかのケースでは「後任が決まっている」場合もありましたが、今回は後任がおらず、暫く副市長のポストが空席になります。
納得感がない解職報告
市長は最終日に解職報告として以下の通り述べました。少し長文ですが抜粋です。
副市長の解職についてご報告いたします。本年3月の定例会におきまして、市議会の同意をいただき、副市長に大賀義信君を選任いたしました。大賀君においては、これまでその重責を背負い、副市長として職務に尽力していただいており、その労に対し心から感謝を申し上げます。
しかしながら、現在の五島市は、人口減少対策をはじめとする長年の課題に加え、私が市長として有権者の皆様から負託を受け、実現を目指している施策、すなわち国境離島関係制度の改正・延長、全天候型子どもの遊び場の施設整備、畑地の基盤整備事業、商店街の活性化など、多くの重要課題を抱えております。これらの課題に的確に対応し、五島市のさらなる発展につなげていくことが、現在の市政に強く求められております。
もとより、副市長は地方自治法において、市長を補佐し、市長の命を受けて政策企画を担い、その補助機関である職員の事務を監督するとともに、市長から委任を受けた事項について執行するという、極めて重要な役割を担う存在であります。市長の意思決定を確実かつ迅速に市政運営へ反映させるためには、市長と副市長との間に、綿密な連携と強固な信頼関係が不可欠であります。
この原点に立ち返ったとき、五島市政が一枚岩となって諸課題に対応し、私が目指す市政運営を迅速に推し進めていくためには、市長と副市長が名実ともに一心同体である体制を、より一層強固なものとする必要があると判断いたしました。
そのため、政策の推進をより強力かつ迅速に行うための必要な措置として、地方自治法第163条の規定に基づき、大賀義信副市長を、本日12月23日をもって解職することといたしました。私が五島市の将来を守り、発展させていくという思いは、これまでも、そしてこれからも、いささかも揺らぐことはありません。
副市長を解職する理由としては、今ひとつ説得力に欠けるというのが感想です。
市長の報告には、「語られていない本音」があるのだと思います。
解職の仮説1. 政策推進の停滞?
市長は説明の最後で、
政策の推進をより強力かつ迅速に行うための必要な措置として、(中略)解職することといたしました。
と述べました。これだけ聞くと、政策実現へのアクセルとして解任、という論理も成り立ちそうです。
ただ、市長が述べた以下の政策は「それなりに」進んでいるようにも思います。
- 国境離島新法 → 国へ要望活動を頻繁に行っている
- 全天候型子どもの遊び場の施設整備 → 予算の目途が12月でついた。
- 畑地の基盤整備事業 → これから進んでいきそう。
- 商店街の活性化 → 未定だが、そもそも選挙で10個の公約には掲げていない
(個人的には、全天候型の施設は構想案が出てくるのに1年以上かかっているのは遅いと感じていますが…)
解職の仮説2. 方向性の不一致?
NHKの報道インタビューに対しては、「方向性の不一致」が理由として語られています。
政策実現には前向きだった大賀氏
私は市長の公約実現に関して3月議会で質問しました。その際の大賀氏(当時はまだ総務企画部長)の答弁は以下の通りでした。
◎総務企画部長(大賀義信君) 議員のほうは総合戦略と予算を言ってますけども、市長の公約も4年間、総合戦略も5年間、この中で私どもは成果を出していくということが大前提でありますので、安易に大変失礼な言い方ですけども、議員からも常々言われているエビデンスの部分がやはり私どもは予算化するためには大切であるというふうに思っております。そこの実証というか、データの集積というか、聞き取りというか、そういうことは大切にしながら予算化すべきものであるというふうに思っております。
市長からはいろいろ市長の公約を頂きました。事務的にもいろいろ内部で協議させていただいております。当然、やれるもの、やれないもの、当然、予算も限りがあります。また、過去の事例等もありますので、そこは私どもも市長のほうにはこういう意見というか、事務方的な意見、また、市長からの御指導、そういうような形を意見交換をしているところでありますので、そういうふうに御理解いただければと思っております。
この答弁を聴いて、私は事務方として、政策実現に向けて色々と折り合いをつけて実現を図っているのだな、と感じました。
「政策の方向性が不一致」は理由になるのか?
NHKの取材によると
「市長と副市長で一心同体となって政策を進めていかなければならないなか、方向性が一致しないことが多かった」と話しています。
「政策の方向性」は市長が決める事であり、副市長が決める事ではありません。
そのため、方向性の不一致を解任理由とするのには違和感を抱きます。
市長の仕事は、部下に指揮命令をして自分が理想とする方向性に市役所を動かす事です。
仮に「進め方」に関して、市長と副市長の意見が不一致だったとしても、解職するほどの理由になるでしょうか。
大賀氏も行政経験が長い事から、仮に市長と自分の意見が相違して、意見が通らなかったとしてもへそを曲げて職務を放棄したりする人物ではないと考えられます。
こうした事から、私は「政策の不一致」は表面的な理由に過ぎないのではないかと考えています。
解職の仮説3. 信頼関係が崩れた?
同じく市長が解職説明の際に述べた、以下の文言に核心があるように感じます。
市長 市長の意思決定を確実かつ迅速に市政運営へ反映させるためには、市長と副市長との間に、綿密な連携と強固な信頼関係が不可欠であります。
市長と副市長の信頼関係が崩れる「何らかの出来事」があったのでしょうか?
カギを握るのは「第三者委員会」?
その原因はもしかすると、第三者委員会の設置を巡る一連の経緯と関係しているのでしょうか?
このおかしな市長の答弁の経緯に関しては
- 3月議会最終日:第一審で敗訴が決定。議会で急いで控訴を議決
- 市長が控訴前に知らされていなかった「何らかの事実」を知り、一部の議員に情報共有?(仮説)
- 一部の会派(創生会+3つの1人会派)が事件の実態解明を求める「要望書」を市長に提出
- 9月議会で第三者委員会設置事業に関する予算が上程され可決
- 12月議会で「和解」が提案され可決(12月23日)
- 第三者委員会の調査がスタート
この一連の流れの中に、信頼関係を巡る何かがあったのでしょうか?
もちろん、上記とは全く別の出来事が原因かもしれません。
私の想い
私は副市長と議会で色々な点を質問させて頂き、議論させて頂きました。
政策的な方向性は違えど、しっかりとエビデンスや数値を重視される方だと思っていました。
そんな副市長が急にいなくなってしまい、何とも言えない喪失感を抱いています。
なんでいきなり解職されたの?
これが市民の皆さんが今後、抱くであろう当然の疑問だと感じます。私も同じ疑問を抱いています。
副市長を選任した市長には、いわゆる「任命責任」があります。
そして事務方のトップを空白にし続けることは、市政の停滞にも繋がります。
議会報告では、「次の副市長人事」に関する方針説明はありませんでした。
個人的な人間関係のもつれや感情論は抜きにして、市長には任命権者として、「市民が納得の出来る説明」を求めたい所です。
