選挙を戦っている中西です。
この記事では、選挙カーでの名前の連呼に意味はあるのか?
というテーマについて考えてみます。
選挙の前
私は常々、選挙カーの名前の連呼が、
うるさいだけで意味がない
と思っていました。市長選挙の際は出す事に抵抗がなかったのですが、
市議会選挙は候補者が20名ほどもいます。
全員が車を走らせると、街中はカオス状態です。
Aさん、Bさん、Cさん・・・と、連呼が続きます。
こうした状況の中、果たして選挙カーでの名前連呼は1票に繋がるのでしょうか?
私はむしろ、他の人と差別化した方法が良いと思いました。例えば
- 政策の主張はネット配信だけに特化する
- 自転車とランニングだけで移動する
など。
それを地元の支援者に伝えたところ、
選挙カーは出した方が良いよ
とアドバイスを頂きました。
悩んだ結果、それで車を出す事にしたのですが、
正直な所、複数候補者がいる中での効果は半信半疑でした。
選挙カーを出してみて
市議選挙では、選挙カーで名前の連呼をしています。
そこで感じるのは、
選挙カーは決して無駄ではない
という事です。
都会の感覚からすると、「選挙カーはウルさい」というイメージですが、
選挙カーを出して道路で有権者とすれ違うと、喜ばれる事も多いです。
特に、人口減少と過疎化が進む郡部では、普段は子供の声が少なく、静かです。
五島は地理的に広範囲であるため、車がないと回り切れないエリアも多いです。
普段は人通りの少ない集落での選挙カーは、4年に1度の「挨拶、礼儀、巡礼」という感じです。
そのため、選挙で車がないという事は、おかずのない定食みたいなモノです。
こうした状況で、選挙カーを出さなかった場合、
〇〇さんは来なかった
という印象が残ります。
そのため、高齢化率が高く、面積の広い五島において、選挙カーでの名前の連呼は
合理的な選挙運動
だと感じます。
有権者と候補者の意識
他の候補者も、ほぼ全員選挙カーで名前の連呼をしています。
それは裏を返せば、全員が「選挙に最適化された行動」を取っているという事です。
ネット選挙でもなく、自転車やランニングでもなく、選挙カーです。
とはいえ、私はやっぱり毎日選挙カーで名前を連呼する事は、不毛な感じがしています。
これは候補者ではなく、有権者の側にも変化が必要だと感じます。
例えば、公共の場でタバコを吸う事が今では憚れるのと同様に、
選挙期間中に車で大きな音を出す事が憚れる雰囲気になれば、
候補者も「合理的な選択」として、名前の連呼を止めるでしょう。
有権者の気持ちに立つこと
これが候補者としては最も大切だなと感じています。