海洋国家・大陸国家
コロナ対応を巡っては、
米国・英国・日本・台湾のような「海洋国家」と、
EU諸国のような「大陸国家」でその対応の難易度が大きく変わります。
海洋国家の場合は、水際対策を始めとするリスク対応がしやすい一方で、大陸国家の場合はその難易度が格段に上がります。
これは世界的な話ですが、日本国内でも同じことが言えます。
例えば長崎県では
五島・壱岐・対馬は「海洋自治体」ですが、
大村・長崎・佐世保は「大陸自治体」となります。
離島の特徴は、交通と医療のインフラが本土と比べて脆弱であり、高齢化率が高い点です。
五島市の場合は高齢化率が4割近くとなり、陸海空の移動手段も減便が続き、医療体制の脆弱性も不安視されています。
そのため、コロナを始めとする疫病に対する感度は非常に高く、デマや噂も数多く出回っています。
そうした「海洋自治体」が今後目指すべき方向性について、考えてみます。
積極的脱グローバリズム
英国・米国では脱グローバリズムを推進する政治家が選ばれ、国政を担っています。
その背後にある感情は、ラストベルトで働く労働者に代表される「不安と嫉妬」ではないでしょうか。
自由貿易・移民政策によって、所得や居場所が脅かされる不安と、成長性が見込めない事に対する嫉妬が、大きな政治的パワーを生んだと思います。
そのため、米国・英国の「脱グローバリズム」は、「消極的な」意味合いを持っていると言えます。
一方、日本の地方における「海洋自治体」が目指すべき方向性は、そうした「不安や嫉妬」に基づくものではなく、「希望と可能性」がベースになります。
モノは何もないけど、「豊かな生活」が創れる
という感じです。
グローバル経済において、島外からの供給として大事なのは
- インフラ・医療体制の整備に必要な国からの財源
- 電気や自動車・モノを動かすのに必要な石油資源
です。最悪の場合、こうした供給が0になったとしても、影響を最小化できる方向性を目指すべきです。
そこで目指すべきは、
小さく、完成度の高い経済圏を回す事
です。
そこには映画館や娯楽施設はないかもしれません。
働く場所や大型スーパーもないかもしれません。
しかし、殆どの遊びや仕事は、ネット空間で補う事が出来るようになっています。
五島列島には、大小140あまりの島々が存在します。
それらの一つ一つが、「新しい生活」を営む可能性です。
- グローバリズムとの最大限の分断
- ネット空間の最大限の活用
- ヒトの時間の最大限の充実
こうした方向性を目指すのが、積極的脱グローバリズムです。