長崎原爆資料館

長崎原爆資料館

ローマ教皇の後を追って、長崎へ行ってきました。

目的は原爆資料館。

五島を9:20に出て15:20に戻ってくるという強硬なスケジュールでした。

教皇だけに。

それで本日は、感想みたいなものを出来るだけ重くならないように書いてみたいと思います。

政治家として。

資料館に陳列された悲惨な展示の数々。

それは何かの結果であり、末路。

何の?

一言で言えば、政治的な対立の結果。

国同士の。

科学技術を使った場合の。

核という究極のウェポンを使った場合、何が起きるのか。

それは結果として、何をもたらすのか。

 

目も当てられない。

 

悲惨。

 

人間である以上、誰もがそう思うはず。

 

にも関わらず、世界の核の数は増え続けている。

 

不思議。

 

なぜ?

 

抑止力のため?

 

多分、多くの庶民感覚とズレているはず。

 

それって民主主義?

 

 

 

世界平和。

 

これが最大公約数なはず。

 

多分間違いなく。

 

世界的に。

 

政治はそれを実現しようとしている??

 

多分、今はそうじゃない気がする。

 

憎むべきは何か?

 

多分、視野の狭さ。

 

お国のために。

 

民族のために。

 

地域のために。

 

家族のために。

 

多分、みんな同じレベルで争ってる。

 

でも、みんな繋がっている。

 

 

それは疑いようもなく。

 

 

民主主義。

 

有権者の声。

 

自国ファースト。

 

 

ファストフード。

 

 

核兵器。

 

 

各平気?

 

 

誰の声を聴くべきか?

 

 

多分、有権者だけでは足りてない。

 

 

視野を高く。

 

視野を広く。

 

視野を深く。

 

視野ビッグバン。

 

五感も拡張。

 

 

VRも使おう。

 

4Kも使おう。

 

使えるものは何でも。

 

技術は

 

平和利用。

 

諸刃のつるぎ。

 

祈る。

 

行動する。

 

与える。

 

それ以上は求めない。

 

 

そんな感想を抱きました。