カネミ油症
カネミ油症は、日本で最大の食品公害です。
Wiki情報はこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8D%E3%83%9F%E6%B2%B9%E7%97%87%E4%BA%8B%E4%BB%B6
事件の原因
まずは事件の本質について、考えてみます。
事件の本質は、「生産者サイドの責任構造」にあります。最初に紹介した本の記述(沢井裕教授の論文)から抜粋です。
今日の商品の製造、販売の機構は、極限まで合理性、採算性を追求する結果、網の目のように入り組んだ分業と共同から成り立っている。
何らかの事故が生じた時には、その企業ごとの責任を分断することによって、「利益は取得するが損失は負担しない」メカニズムを作り上げようとする。
そうした構造の中で、
- 製造物を責任した業者が責任を取ろうとしない
- 安全基準を審査する国も責任を取ろうとしない
という状況が生まれ、裁判での長い法廷闘争が続きました。
続く認定問題
「カネミ油症は昔のこと」ではなく、現在も続いている問題です。
51年が経った今でもなお、被害者の苦しみは続き、国への緩和基準の見直しを求める運動が継続しています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190512-00002432-nbcv-l42
具体的には、「血液中のダイオキシン濃度」が認定基準とされていますが、それは被害の「一つの症状」に過ぎません。
以下、五島市のHPの情報を抜粋です。
水俣病(みなまたびょう)の研究で有名な原田正純(はらだまさずみ)先生は、カネミ油症を「病気のデパート」と例(たと)えるほど、実にさまざまな症状(しょうじょう)があります。
事件のおきた当初は、強い倦怠感(けんたいかん)(疲れ)とともに大量の吹き出物や目やに、つめや歯茎(はぐき)の変色など、皮膚(ひふ)症状が主でした。
特に、吹き出物は顔や背中、耳の後ろやおしりなど全身にできて、ひどい悪臭がしました。
そのうちに、髪(かみ)の毛が大量に抜(ぬ)けたり、視力(しりょく)が低下したり、耳が聞こえにくくなったりしました。
また、脳梗塞(のうこうそく)で倒れたり、歯がぐらぐらして抜けたり、骨の変形や関節(かんせつ)の痛(いた)みで歩けなくなったりと、全身におよぶ疾患(しっかん)で苦しむようになりました。
また、さまざまなところにガンができて、亡くなる患者(かんじゃ)が増えていきました。やがて、皮膚(ひふ)の黒い赤ちゃんも生まれるようになりました。カネミ油症は、まさに全身病なのでした。
このように、カネミ油症の認定を巡っては、現在の認定基準(血中のダイオキシン濃度)では圧倒的に不十分であることが分かります。
大量消費社会の欠陥
カネミ油症を巡る問題は、「大量消費社会が抱える構造的な問題」の一つの側面であると言えます。
別の側面では、私たちが消費するゴミにも現れています。
私たちは消費者として、「作る・使う」の工程には関わるけれど、「捨てる・処理する」という部分には、全く無関心である、という構造です。
私たち日本人は、戦後一貫して、「安くて便利で効率的な生活」の中で暮らしています。具体的には
- メーカー企業が凌ぎを削って利益を稼ぎ
- 中間層の消費者が大量にモノを買い
- コンビニと100円ショップでプラごみを消費する
生活です。
昨今では、プラごみの規制も強化されていて、日本はこの処理に対応を迫られています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190512/k10011913361000.html
記事によると、
世界で廃プラスチックの輸出量トップのアメリカと2番目の日本は去年、輸出の総量がおよそ30%減り、その分、各自治体で抱える量が増え、対応に苦慮するケースが相次いでいます。
カネミ油症も同じく、生産サイドが「作り・販売」した製品に対して、その後の「消費者を保護する」という責任の受け皿が全く存在していませんでした。
そのため、救済を巡る制度もなく、裁判で長い時間をかけて補償を勝ち取るという、途方もないプロセスが現在も続いています。
どう変わるか?
現実的な問題として、私たちはプラスチック製品に象徴される「大量消費社会」そのものを見直しを迫られています。
方法としては、
- 大量生産・大量消費そのものを辞める
という急進的な方法と、
- 生産した後・消費した後の事も考えながら消費する
というマイルドな方法があります。
現在は後者の方(レジ袋への課税や分別の厳格化)が主流になっていますが、私は同時並行で多発的に実践を試みて、一番現実的な路線に移行するのが良いと考えています。
イメージとしては、砂山の頂上からとりあえず水を流してみて、一番スムーズに水が流れたルートを開拓する感じです。
「緻密な計画を立てる」よりも、「実践を繰り返してミスをする」事が大切なので、同時多発的なアプローチを始める事が大切です。