日々の生活と心境の変化
最近の私は、選挙の準備活動に奔走しています。
覚悟を決めて、走り始めて早1か月。
自分の中で心境の変化があったので、ご紹介を。
今までの私は、「興味がないことは興味がない」
という状態でした。
でも、市長を目指すようになってから、
「これも市政に関わるなー」
とか、
「私だったら、こうするのになー」
という風に、「勉強として」考えられるようになりました。
それはとても些細な事ですが、大きな変化です。
例えば、「商店街を歩く」という事について、
- 今まで:サビれたシャッター通りだなー
- 今:道路にタバコのポイ捨てが多いなー。なぜだろう?
という感じで、視点が少し変わりました。
それを突き詰めて考えると、「人生は全てが勉強」です。
予期せぬトラブル
人生には、「予期せぬトラブル」がつきものです。
- 突然交通事故や災害・病に遭ったり
- 突然身内に不幸があったり
- 突然会社の経営が不振になったり
- 信頼している人から裏切られたり
様々です。
そういったトラブルは、
大きな出来事から小さな出来事まで、大きさも様々です。
そして肝心な事は、それらが天気と同じで制御不可能だということです。
でも、そんな出来事に対しても、
「ま、これも勉強だなー」
と思えれば、生きるのが楽になる気がします。
心は自分で決められる
私はランニングが好きです。
ランニングで有名な作家、村上春樹さんが
「走ることについて語るときに僕の語ること」の中で紹介している一説があるのですが、紹介します。
Pain is inevitable. Suffering is optional
痛みは避けられないが、苦しみは選択できる。
突き詰めて言うと、人生もこれと同じだと思うんですよね。
Painの部分を、先ほどの「予期せぬトラブル」に置き換えると、
予期せぬトラブルは避けられないが、苦しみは選択できる。
となります。
「苦しむ」というのは、痛みとは違う、「心の持ち方」です。
私の言葉で言えば、「勉強だと思えるかどうか」ってことだと思います。
例えば、フルマラソンに挑戦して、失敗したとしても、
それを勉強だと思えるか?
が大事です。ちなみに私は2回失敗しています。
- 市長選挙に落ちたとしても
- ビジネスで大きな失敗をしたとしても
- 大衆から罵詈雑言を吐かれようとも
私はチャレンジをした上での「勉強材料」だと思っています。
福岡市長の高島さんも成人式でおっしゃってましたが、
成功の反対は失敗ではない。成功の反対は挑戦をしないこと
と述べています。
自分本位?
私はよく、
「自由奔放」だとか、「自分本位」とか言われます。
まあ確かに、
- 両親の反対を押し切って会社を辞めて五島に来たし
- 周囲の反対を(聞いてはいるけど)スルーして市長選に出るとか言ってるし
間違っても「他人への配慮」を優先して生きていません。
これは私の性分みたいなもので、
「頑固おやじ」と言えるかもしれません。
私個人としては、人生は1回きりだし、
自分のやりたいことを優先したいと思います。
でも世の中の多くの人は、
「そうは言っても、周囲の事を考えて、生きなきゃ」
という人が圧倒的に多い気がします。
私にはそれが、とても「窮屈そうに」見えます。例えば結婚の事とか。
https://nakanishidaisuke.com/2017/12/31/marry/
その辺りの事は、私が1から説明するより、
「嫌われる勇気」
とか
「幸せになる勇気」
とかの書籍がおススメです。
基本的に私の意見としては、そっち側のスタンスです。
幸せの責任
幸せの定義は人それぞれです。
ただ少なくとも言えるのは、
- 誰もがみな死ぬ
- 誰もが有限の時間しか与えられていない
という事です。そのため、
あなたの人生は一度きりだけど
あなた以外、あなたを幸せにする責任は負っていない
と思います。
私の場合はどうでしょう?
私の幸せは、ソファーに座っていても手に入らないし、ガムシャラに泳がなければ、手に入れられないタイプのモノだと思います。
だから私は最大限、自分の人生を幸せに生きることに、全力投球していきたいと思っています。
自分の人生の幸せを最大化する
って部分をベースに生きています。
書いてみて思いましたが、やっぱり私は「他人への配慮」が欠けている気がしますねー(´・ω・)
これも大事な勉強です。走りながら考えますね。