なぜ今、憲法?
庶民の感覚で言えば、普段の会話の中で、憲法の話なんて話題に上がりません。その理由は単純に、
憲法の事なんて知らなくても生活が出来るし、知らなくても差し迫って困ることはないから
だと思います。
ただしこれからは、日本が「日本のシステム」を維持するコストが高くなる一方で、その支え手が減っていきます。
具体的には中国のプレゼンス強化とアメリカの停滞・それに加えて日本の緊縮財政が挙げられます。
そうすると必然的に、「日本のシステム」やサービスの縮小が起きます。
そうなったとき、憲法の問題を知っておくと、国民の側からしても、
いや、それは憲法違反でおかしいでしょ!
と理論武装で戦うことが出来ます。
そのため、憲法を知っておくことは、長期的に見て個人の権限を主張する武器になるような気がします。
憲法の議論
本日は、この本を紹介します。
その中で私が大事だと感じた点について、ご紹介します。
集団的自衛権?
2014年の話ですが、安倍政権が
従来の憲法解釈を変更して限定的に集団的自衛権の行使を容認することを決定
というニュースがありました。
これを巡っては、そもそも論として
自衛権を巡る国際法とのズレがあると紹介されていました。
少し具体的に説明します。
国際法上の集団的自衛権は、他国の要請があった場合の軍隊の出動であるため、自国の危険とは本質的に関係がありません。
しかしながら、法案を成立させた安倍政権のロジックとしては、自衛権発動を認める要件として、
-
わが国や「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生し、
-
国の存立や国民の権利が「根底から覆される明白な危険」がある場合、
必要最小限度の武力を行使することは「自衛のための措置として憲法上許容される」
と解釈しています。
つまり、国際法上の集団的自衛権が、自国の危険性と関係のない水準で設定されているのに対し、
日本の新しい解釈では、自国の危険性が脅かされる場合という条件を付けています。この背景にあるのは、
- 憲法9条の「武力行使」は放棄しなければいけない
という立場と、
- アメリカに対するパートナーの役割は強化しなければいけない
という現実的な問題の妥協案の産物であると言えます。
民主的な政治プロセス
何が正しいかはわからない時代であり、価値観が多様化している時代です。
そのため、熟練の政治家であろうと秀才であろうと東大卒であろうと、
「絶対的に正しいものは分からない」
という前提があります。そのうえで、
仮に正しくない結論になったとしても、納得してもらえるような手続きを踏むべき
という考え方が大事であると述べられていました。そのうえで、
方法論的な正しさを決めておけば、結果の成否にかかわらず、自信が持てる。
という割り切りは、民主政治を行う上での大事なスタンスでしょう。
民主主義はダメな人を辞めさせる制度
ひと昔前の時代で言えば、政治的なパワーと軍事的なパワーはセットでした。
そのため、
政権交代=トップの首を取る
という、非常に血生臭い闘争が繰り広げられていました。
しかし、民主政治について言えば、気に入らないリーダーに対しては、軍事闘争による解決ではなく、選挙によってトップを変更させることが可能となりました。
そう考えると、民主主義は政治システムとして、非常に穏健で平和な制度であると言えます。
他国との競争は?
ただ、プロセスや憲法を重視するあまり、現実世界とのギャップが大きくなってしまった場合、そこには深刻な問題が生じます。
例えば無法な海洋進出を行う国家に対して、いつまでも「行儀正しい優等生」を演じていては、自国の領土や利益が少しずつ奪われてしまい、危険な状態となります。
なぜなら、国家の根幹的な役割は、国民の安全保障だからです。
そのため、自国の脅威となる国家に対する抵抗力・手段を持つことも、国家の役割です。
しかし一方で、国家に絶大な権力をゆだねることは、自国の国民を平気で弾圧可能になるため、縛りが必要です。
民主国家の凋落?
本書の議論の中では、
- 民主的な国家は、その「民主主義的な縛り」が足枷となり、
- 自らの競争力が相対的に弱まり、
- 非民主的な主体に競争で負けてしまう危険性が高いのでは?
と感じました。「競争から協調へ」、という安倍氏の日中外交の新しいスタンスも、
(日本は弱くなっているから、仲良くやっていこうね)
という本音の露呈ではないでしょうか。
包丁の使い方
また、今回の議論の中で面白かったのは、憲法における「手続き規定」の欠如です。
例えば9条の軍事力については、「軍事力を保有すること自体」を禁止するのではなく、「適切な使い方」を定義することの方が大切であるという点は、新鮮でした。
包丁を持つこと自体を禁じるのではなく、包丁の使い方をしっかりと定める、という発想です。
憲法9条だけではなくて、国会議員の適性を巡ってもこの「手続き」の重要性が指摘されています。