バスの中で
前回は、「私に子供がいたら」という題で記事を書きました。
本日はもう少し進んで、「AI時代」がもたらす影響と、求められる「人間の価値」について考えてみたいと思います。
AI時代が私たちに与える大きなインパクトは、「経済の自動化」です。
私たちの身体の自律神経がそうであるように、社会そのものが
- 勝手に情報を処理して
- 勝手に体温調整して
- 勝手に病気を治していきます
具体的に言えば、天候のデータを基にバスや車の台数を勝手に算出し、人間の移動に伴うあらゆる生活コスト(移動・買物・サービス)の計算は、無意識的に処理されるようになります。
事件があったときに出動するのも、警察官ではなくロボットになるかもしれません。
そんな「自動社会」にあって、人間が行うべき営みはどうなるのでしょうか?
キーワードは「身体性」
学校の授業を考えてみれば分かりやすいです。
今までの授業時間で過小評価されていた科目の比重が高くなり、更に複合的な分野となっていきます。
具体的には、体育、芸術、音楽、武道といった領域が重視されます。
その理由は単純で、その分野こそ「人間の身体」に依存しなければ成り立たない領域だからです。
例えば株の投資判断や情報処理には、身体性は必要ありません。
更に、既存の領域同士の複合に加え、テクノロジーとの融合も起こります。
パラリンピックをイメージしていただければ分かりますが、テクノロジー武装によって、人間の「身体性」は更に多彩な方向性へと領域を広げることが可能となります。
身体性に軸を置くサービス
それでは具体的に、どんなサービスが有望でしょうか。考えればキリがないですが、ざっと思いつく限りでも
- マッサージ師
- 大道芸人・手品師
- スポーツ選手
- 歌手・演奏家
などが挙げられます。一方で、数理計算的な処理や、複雑な論理判断を必要とする「医者や弁護士」といった仕事は、AIに侵食されていきます。
ですので、新しい時代は、
- 勉強の出来る賢い人
よりも、
- バカみたいに真っ直ぐな人
の方が、成功する可能性は高いと考えられます(成功=不自由が少なく、やりたい事を満喫できる)。
そして現代では、上記のように「身体性」に軸を置きながら活動できるのは、一部のプロ選手だけですが、その垣根もドンドンと下がっていくようになります。