重度の睡眠障害を抱える私が「不眠症」について説明してみた

  • 2017年4月17日
  • 2021年3月28日
  • 雑談

睡眠時無呼吸症候群

まずは私自身が抱える睡眠障害について、簡単に紹介したい。

「睡眠時無呼吸症候群」とは、寝ている間に呼吸が止まり、しばらくしてから堰を切ったように、「ぐああ」と睡眠が開始されるという病気だ。

私は小さい頃、父親の隣で寝るのが本当に怖かった。

と言うのも、突然呼吸が止まって1分くらいすると、突然雷のような呼吸が何の予兆もなくいきなり始まるからだ。

隣で聞いている人は、騒音被害に悩まされる。

そうした父親の致命的な遺伝子を半分継承している私は、残念なことにその病まで受け継いでしまった。

実際に病院に行って3万円近くも払って精密検査を受けてみたところ、最大で1分半近くも呼吸が止まっていることが明らかになった。

「重症の一歩手前」だと医師からは宣告されたのだが、今のところはマスクをつけると言った対処療法もしていないし、根本的な解決策としての手術も考えていない。

私の不眠症とは

前置きが長くなったのだが、私は不眠症である。

それが具体的にどういうことなのかと言うと、要するに眠りにつけないのだ。程度の差はあるけれど、大体3ー4時間は平気で寝られない。

一番ひどい場合だと一睡もしないまま朝を迎えるし、90分だけ眠りにありつけてから目覚めることもある。それは運次第だ。

不眠の症状自体は大学生の頃くらいから始まったのだが、社会人になって落ち着き、ニートとなってNZに行ってから再発した感じがする。やはり睡眠は、生活リズムに大きく影響される。

中学生や高校生のように、毎日同じ時間に同じことをするのであれば少しは眠りが安定する兆しがあるのだが、離島での生活はそういう感じでもない。

ちなみに私は普段から、かなり早く寝る。社会人の頃でさえ11時には寝ていたし、普段だったら10時前には布団に入る。

それはさておき、眠れないということの心境についても少し述べておきたい。

広い大海原にポツンと浮かんでいる私

ここは太平洋のど真ん中。

さて、これからゆっくり潜らなければいけないのに、浮き輪をつけられたまま放置されてしまったようである。

誰も助けにはこない。

そして深く潜るための「手掛かり」は、何一つとしてない。

青い空は何処までも広がっていて、雲があちらこちらに形を変えながらゆっくりと流れている。

そんなどうしようもない状況である。

空から「重り」がもたらされる予感もまるでない。

叫んでみても、声はどこにも反響しない。

要するに、眠りに就く可能性が一切見当たらず、「どうしようもない」という厳然たる事実だけがそこには横たわっているのだ。

私はただ、とりとめもなく流れていく雲の様子を見ながら、「ああいう形の雲はアレだな」などと呟くことしかできない。

それでも身体は眠りを欲しているらしく、少し目を開けると即座に欠伸が出るという不思議な現象が起きる。

不眠症に対する私の見解

おそらく私の場合は、「無呼吸症候群」を抱えているから、眠りにつくと呼吸が浅くなり、疲れてしまうのではないだろうか。

そう考えると、身体が私に眠りを許さない(その余地を与えてくれない)のは、明日への体力を回復するための「合理的な」選択としての判断なのかもしれない。

眠りに落ちるよりは、ただ目を瞑っていた方が、身体にとってはあり難いのかもしれない。

夜中に散々騒音を撒き散らす父親が、日中に頻繁に昼寝をする様子を見ていると、「寝ているけれど疲れが取れていない」のは容易に想像できる。

だから私は不眠症をそこまで深刻には捉えていないし、これといった対策も講じていない。

言わば爪が伸びるのと同じくらい、私の身体にとっては自然な現象なのだと思うようにしている。

それに医者が解決できるような問題ではないのだという、絶対的な自信(?)のようなものもある。

寝れない日が続いたとしても、結局どこかで帳尻合わせを身体が勝手にしてくれるのだから、不眠症自体はあまり気にしていない。

(時々暴力的な睡魔に襲われることがあるのが心配だが)

個人的には、人の不眠症というのは「人の顔」と同じくらい千差万別で、一概に何が原因だとかは言い切れないのだと思う。

私は自分の顔が気に入らないからといってわざわざ整形手術をしようとは思わないし、まあそれでも何とかやっていくしかないのだと思っている。